本書は郡司と天皇の関係の視点から古代の地方豪族と僧侶を描いたものです、著者は東京大学大学院博士課程単位取得、大阪公立大学准教授、
郡司と天皇
郡司という官人、地方官としての郡司、郡司に任用される人々ー地方豪族、郡司の特異性ー支配してきた土地の読み替え、郡司と地方社会ー地方支配の末端
郡司を任用する、郡司の任用手続き、①国擬ー国司による推薦、②式部省詮擬ー口頭試問と筆記試験、③郡司読奏ー任用確定、④郡司召ー任命式、郡司の任用日程ー1年、郡司の引用基準ー職責を果たす人物、後に郡司を輩出した家系、
郡司読奏、長徳二年の郡司読奏ー読奏が天皇に奉上・太政官は定の書き込み・天皇は奉上と定で任用の最終判断、郡司読奏の誤り、十世紀の郡司ー受領化した守の手先となり・地方豪族は中央官庁の庇護下に入り・国と郡の行政一体化進行、郡司読奏の天皇不出御儀ー清涼殿での政務、郡司読奏の天皇出御儀事例、郡司と天皇の関係ー古代国家の地方支配原理を表現
結びつく郡司と天皇、もう一つの郡司任用法ー太政官に提出、宣旨による任用の許可ー天皇の命令を伝達する方法、郡司と天皇の結びつき、古代国家の地方支配原理
郡司層と地方豪族
郡司の交替と郡司層、郡司輩出勢力ー地方豪族、郡司の交替ー擬仁郡司の存在、山背国宇治郡司の事例、交替の復元ー在任は長くて10年、「郡司層」ー持ち回り郡司職を輩出する総体
地方豪族と官職・地位、郡司・国造・兵衛、郡司職と地方豪族ー地方出身者の中央出仕と郡司へのキャリアアップ、郡司の主政・主張に転任、賀陽一族の事例、
地方豪族と行基、行基ー民衆布教と灌漑整備、三世一身法ー墾田永年私財法、行基と三世一身法ー労働力の確保、行基と和泉の地方豪族の実像、郡司層にせまる
郡司層の内実
既多寺知識経の知識、既多寺知識経、知識集団ー針間国と針間直氏と他姓の4集団、針間国造氏ー地域支配を認められた地位、既多寺知識経と地方豪族ー写経のためだけではない集団、既多寺知識経の中の女性ー商品生産や物流、知識の全体構造ー賀茂郡の人々、既多寺知識経と郡司層ー郡司を輩出、
知識の具体相、既多寺知識経との範囲ー65%、各集団影響範囲ー2000人、各氏族の影響範囲ー針間国造氏率いた人数は700~1200人、
知識を比較する、和泉監知識経709人との比較、金井沢碑の知識との比較ー「佐野三家」にルーツを持つ三家氏を中心に構成、金井沢碑の知識と郡司ー郡司輩出勢力が存在、野中寺弥勒菩薩像銘の知識等との比較ー栢寺知識の118人は国造の系譜をひく賀陽氏を中心とした知識、知識全体の構成と規模ー総勢100名の知識の存在、
郡司層の復元、播磨国賀茂郡の郡司層ー各集団が郡司輩出勢力、代表者の中から郡司任用、主政・主帳は地方豪族を構成する一部、寺院経営の知識に参加、郡司層をとらえる
地方豪族と古代社会
行基の足跡、地方豪族の具体相ー摂河泉地域の活動、行基の実像ー続日本紀の行基の伝説と泉高父の「行基年譜」、天平十三年記ー業績リスト、年代記ー行基の年齢ごとの活動記録、「行基年譜」は可能性を秘めた史料
鶴田池の風景、鶴田池の築造、鶴田池と地方豪族ー行基の基に大島郡司と接する中で触発された名麻呂をはじめ、写経の知識として集まった人々がはせ参じた、行基と狭山池の修理、行基・地方豪族と古代国家
河内大橋をめぐる情景、地方豪族への接近、花園村大般若経ー河内和泉地方に所在していた「大般若経」収録し一部600巻を揃えたもの、家原邑知識経ー花影禅師橋の造営と家原邑の男女長幼に働きかけ書写を実現、「奉仕知識」の人々ー河内に出自、畿内の地方豪族ー家原邑知識経は、河内国大県郡の家原邑を拠点に、同地の地方豪族層が中心となった知識によって写された「大般若経」である、河内六寺ー智識寺・山下寺・大里寺・三宅寺・家原寺・鳥坂寺、「家原邑男女長幼」と「奉仕知識」、架橋事業と地方豪族ー僧侶と地方豪族、制度と実態ー地方社会における豪族たちや仏教の力、
まとめ
本書は地方豪族をテーマに、彼らが関わる制度と現実の社会実態の両面を捉える目標を掲げ展開したものです、郡司と天皇、郡司層と地方豪族、郡司層の内実、地方豪族と古代社会、で構成