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My Natural Garden & Cafe

ジョセフ・M・カーリン カクテルの歴史を読む

皆さんどんなカ好きですか。本書はジョセフ・M・カーンがカクテルについて描いたものです

カクテル誕生

低アルコールを加熱・気体を液体にするのが蒸留、使用する道具はスチル、「モンゴル式スチル」が優れ、シルクロード経由ギリシャ・ローマ。フランスではワインを蒸留、アクア・ヴィータ―(ブランデー)を作った。ジンは薬局で調合され、イギリス全土に広まった。ラム酒は砂糖農園の副産物でどんちゃん騒ぎからラムに変化カクテルは「雑種の馬」転じて「カクテル」イギリスで登場。カクテルはもっともアメリカらしいアルコール飲料、アルコール飲料の混合物、ソーダ―水はスパの飲み物をモデル

カクテルの原型、パンチ

パンチは、アジアではアラック酒と5の法則で作る「1に酸・2に甘・3に強・4に弱・5にスパイス」、アジア以外ではラム酒を使った。「グロッグ」は船乗りが飲むラム酒の水割り、イギリス人はパンチ専用ボウル発明、毎日の夕食はボウルに注がれたパンチから始まった、当時飲み物は常温で出されていたが、氷の採取はビジネスとなり、氷を利用しはじめた。

カクテルを育んだアメリカの酒場

カクテルラウンジにはバーと呼ばれる小部屋あり、ゲージバーとも呼ばれた、このゲージバーは酒場経営者の貴重な在庫品を守るため必要だった、1836年バーテンダーの言葉登場、大半の労働者にとってバートは「酔っぱらう」ための場所だった。鉄道の旅が盛んになるとホテルのバーが求められ、人気を誇ったのがホフマン・バー、禁酒法施工で終焉、カクテルづくりを芸術と劇場に結び付ける者もいた、マンハッタンはバーテンダーの決闘で薬の代用として作った。マルガリーダは、ダラスで料理店経営マリアノ・マルティネスがソフトクリーム・マシンを使って作った酒、ボトル入りカクテルは主催したピクニックが中止がきっかけで誕生、ウオッカとモスコミュールは、ジョン・ギルバート・マーチスミノフの使用権買収売れ行き悪かったがカクテルを作り、モスコムールとなずけ状況一変、カクテルのベースとなる、様々な飲み物がミックスドリンクという大まかなカテゴリーにまとまられいた、ハイボールは蒸留酒にソーダ―割り、アメリカ農務省は、アブサンのニガヨモギの成分ツジョンのみ禁止している、エナジードリンク・カクテルも悪評

世界に広まるカクテル

客船の喫煙室は、最高級ホテルのバーを模し、実業家に昼も夜もくつろいでもらうもらうことを目的に設計された、間もなく船上にもカクテルメニュ登場、ヨーロッパのバーにアメリカンバー、飛行機で小さなグラス、クルーズ自体の旅の目的化、イギリス海軍の水兵は解熱剤としてアンゴスチュラ・ビターズを積み込んだがジンに混ぜると、「ピンクジン」カクテルとなった、もう一つはジン・トニックの発明。トム・コリンズの名称は、ロンドンのリマーズ・ホテルのヘッドウエイターであるジョン・コリンズに由来、彼はサワーにオールド・トム・ジン、レモンジュース、シュガーシロップをかけこのカクテルを作った、ジョンやトムがカクテル名称として使われる、ダイキリ・カクテルはジェニングス・コックスがホワイトラムにライムジュースと砂糖を加えて作ったのが最初、ベリーニというカクテルはヴェニスのジョゼッペ・チプリアーニが考案、思いついたのはシャンパンにオレンジジュース混ぜるミモザというカクテルを見てから、ブラディ・マリーはパリのフェルナンド・ピート・プティオが考案、ウオッカと缶入りトマトジュースの発明が寄与、小川洋子「博士の愛した数式」は現代日本の楽し気な誕生パーティー、「どれもありふれた、エビのカクテル、ローストビーフ、マッシュポテト、ほうれん草とベーコンサラダ、グリーンピースのポタージュ、フルーツポンチ」、アジアのカクテルは、シンガポール・スリング、オーストラリアのブロウ・マイ・スカル・オフ、中南米のカクテルは、ブラジルのモヒート、カシャーサ、ペルーのピスコ、マティーニは若さ、喜び、セックス、上昇志向、会社の権威や契約成立の象徴、成熟、教育、洗練、富、都会の価値を反映

カクテル文化

ノンアルコールカクテルは禁酒運動の影響が大きい、マーブルヘッド病院「カスター・オイル・カクテル」レシピ出版、シーフード・カクテルやフルーツカクテルはすっかり定着、冷蔵庫でシーフードのレパートリーが広がる、禁酒法時代、男性がバーや宿屋の酒場から締め出されると「スピークイージー」と呼ばれたもぐり酒場へ追いやられた、密売人は停泊した船から違法な酒を手に入れ海岸沿いの町に供給した、禁酒法廃止後、カクテルラウンジが社交の場として脚光を浴びた、典型的なのがメイフラワーホテルのカクテルラウンジ、カクテル・パーティは家で仕事仲間を持てなす方法として注目、ここからカクテルドレス誕生、オードブルがから重要な存在となる、女性が強い酒に接したのはカクテルパーティー、20世紀に考案されたカクテルのほとんどはカラフルな女性の味覚を意識していた、子供が参加するイベントでは、大人の飲み物を欲しがり「シャーリー・テンプル」が生まれた、

まとめ

カクテル誕生前史とパンチ登場、アメリカの酒場から世界に広がったカクテルの由来とカクテル文化を描写しています。私はショットバーで飲みます