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政治

スラブ民族の歴史 書評 伊東一郎編

本書はソビエトロシアと東欧を諸民族の相互関連の歴史と文化として概観したもの、ウクライナ侵攻を考える上でも意義あると考える、編者は伊東一郎、早稲田大学大学院博士課程中退、早稲田大学名誉教授、

スラブ民族とはー伊東一郎

スラブの故地は①ヴィスワ川とオドラ川にはさまれた中部ヨーロッパと②ウクライナ地方が考えられる、考古学と言語学からカルパティア山脈を南限としてその北と東西に広がる地域、スラブ人は北東ロシア・中部ヨーロッパ・西方・バルカン半島へ移住、ブルガリアの成立、東西スラブ国家成立、スラブ人の分布はマジャール族の中部ヨーロッパ侵入とルーマニアの拡張で東西スラブと南スラブ分断で完成、自然環境は北部の森林・南部のステップ・山岳地帯に区分、

スラブ民族の言語と宗教ー栗原成郎/東京大学名誉教授・森安達也/東京大学元教授

スラブ民族の言語①東スラブ群はロシア語・ウクライナ語・ベラルーシ語、②西スラブ群はポーランド語・カシューブ語・ソルブ語・チェコ語・スロバキア語③南スバル群はスロベニア語・セルビア/クロアティア語・マケドニア語・ブルガリア語、スラブ民族の移動とスラブ語の方言分化、古代教会スラブ語の成立、

スラブ民族と二つの文化圏①東方正教文化圏/ブルガリア・セルビア・ロシア、②カトリック文化圏/ポーランド・ボヘミア・スロバキア・スロベニア・クロアチア、第三のローマと教会・異端の群れ、宗教改革が波及したボへミアとポーランドはカトリック陣営に引き戻された、東西両教会の狭間でルテニアのキリスト教徒はロシア近代化に貢献

スラブ民族の歴史ー森安達也・直野敦/東京大学名誉教授・永田雄三/明治大学元教授

①キリスト教の受容と国家の形成<スラブ民族の軸の時代>外圧による国家形成、東西両教会の対立とスラブ民族教化ーモラヴィアはスラブ族を支配者とする最初のスラブ国家でスラブ語典礼が最初に行われた、ブルガリアはブルガール貴族の粉砕でスラブ化と東方典礼受入、セルビアは東西両教会の接点であり続けた、ボヘミアは強力な支配体制がきずけず神聖ローマ帝国の一部を成す国家、ポーランドはポラーニ族が政治的統一し、全土をローマ教皇の保護下に置く、ロシアはノルマンとの交渉からキエフロシア建国、ビザンツ帝国との関係重視して東方典礼を受入、

②ビザンツ帝国とスラブ民族<帝国統治論>、ブルガリアはビザンツ化、ノルマンの地中海進出で東西両教会分裂、ビザンツ帝国に敵対したカトリックのハンガリー、第二次ブルガリア帝国の成立、キエフロシアのビザンツ遺産と「タタールのくびき」を経てモスクワ公国がビザンツ帝国の後継者、

③スラブ民族とゲルマン民族、スラブとゲルマンの接触はエルベ川とオーデル川流域、ドイツ化の波、ボヘミアのチェコ族とドイツ人の共同生活、ポーランドとリトアニアはドイツ騎士団と帯剣騎士団の攻撃を受け連合王国成立、抗争でゲルマン民族の勝利、モスクワ公国はバルト沿岸諸国との衝突とドイツ化経てロシア帝国へ発展、スロヴェニアは西方教会に組み入れられドイツ化、クロアティアは西方教会を受容、

④スバル族と周辺の諸民族、ラトビアは帯剣騎士団の支配を受け西方教会受容、ウラル系諸民族はロシア帝国の支配に組み込まれる、フィンランドは西方教会受容しスエ―デン領、ハンガリー王国成立、クロアティア人とセルビア人の民族主義とオーストリア・ハンガリーの南進政策が衝突、南スラブ人の連合国家が成立、モスクワ公国はモンゴル・タタール系諸ハン国を征服、東方と中央アジア・カフカズに拡大、ルーマニアは東方典礼、アルバニアはオスマン帝国に征服されイスラム教、ユダヤ人の迫害、

⑤民族の独立とパン・スラヴィズム、ポーランドと東スラブ族との緊張関係、ウクライナ民族解放をめぐりロシアとポーランド戦火、結果ロシアは列強の一員・ポーランドは衰退と分割・民族解放運動、スラブ主義思想の形成、スラブメシアニズムとパン・スラヴィズム、チェコスロヴァキアと少数民族擁護のオーストリア・スラブズム、クロアティアと「イリュリア運動」・南スラブの結集、セルビアは独立し領土拡大・ユーゴースラビアの構成部分となる、ブルガリアの独立とマケドニアの帰属、⑥オスマン帝国とスラブ民族、バルカンのトルコ化とイスラム化・奴隷軍人の制度化と内部自治を認める制度、ティマール制下のバルカン社会、洗練された都市文明、帝国支配の変貌・イルティザームとチフトリキ、オスマン帝国否定の世論形成、

近現代世界におけるスラヴ民族ー川端香男里/東京大学名誉教授・菊池昌典/東京大学名誉教授・伊東一郎

①スラヴ世界と西ヨーロッパ、カトリックと東方正教圏、16世紀から分裂孤立、バロックを発見、ロシアとポーランドが独立を保つ、東ヨーロッパの再生運動・ルネサンス、啓蒙思想からロマン主義、東による西の救済、亡命と密接に関わった民族、

②社会主義とスラブ民族、社会主義による民族問題の困難性、ロシア人の多民族差別と共産党内部の民族問題、スターリン時代の民族抑圧と東欧、コメコンとワルシャワ条約機構、反旗のユーゴースラビア・チェコスロバキア動乱・ポーランドの連帯・軍事費の増大と人口減少、

③ソ連崩壊後のスラブ民族、「連帯」の運動とスラブ圏出身のヨハネ・パウロ二世、ペレストロイカでハンガリー政権崩壊・ルーマニア独裁打倒・ブルガリアは共和国・チェコとスロヴァキアに分離・ベラルーシはロシアと密接な関係・ユーゴースラビア分裂・ロシアのウクライナ侵攻、現代のスラブ民族はNATO参加・ロシアと対立

まとめ

スラブ民族の故地はカルパティア山脈の北部、分裂と移住で現在の居住域、言語は東スラブ群・西スラブ群・南スラブ群に分れ、東方正教文化圏とカトリック文化圏、キリスト教の受容により国家形成、ビザンツ帝国・ゲルマン民族・周辺の諸民族、民族の独立とパン・スラヴィズム・オスマン帝国との関わり、現代世界のスラブ民族では西ヨーロッパ・社会主義との関わりとソ連崩壊後のスラヴ民族ー分断と対立を取り上げている、ウクライナ侵攻を考える上で参考になる