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江戸時代

江戸漢詩の情景 揖斐高 書評

ここ数年風雅と関わる江戸漢詩の選集を編むために、注をつけ、現代語訳する作業に集中してきました、本書は江戸の漢詩人たちの観察記録です、著者は東京大学院博士課程修了、紅成蹊大学名誉教授、日本近世文学専攻

風雅のありか

山紫水明ー頼山陽の山紫水明は夕景「読書八首」、のちに風光明媚

凧の上がる空ー俳諧で読まれる、漢詩は詩僧六如「春寒、戯れに作る」・柏木如亭「春興」

もう一つの詩仙堂ー石川丈山の詩仙堂建設で詩仙36人を林羅山に選定依頼、のち羅山は詩仙堂を営む、

和文漢訳のメソッドー①西山拙斎の「間窓瑣言」と漢訳「昼夜用心記」、②皆川淇園の有斐斎では「射復文」メソッド、「習文録」テキスト出版、

文人の日常

十七世紀日本のジキル博士とハイド氏ー①村上冬嶺は風雅な世界を逍遥を希求しながら、卑俗な日常生活を肯定的に生きた「二魂伝」、②林鵞峰の「本朝通鑑」の編集に邁進し儒者林家の基礎を固めた自己省察「一能子伝」

ある聖堂儒者の生活ー平沢旭山は昌平黌に入塾、旅行家「漫遊文草」、長崎滞在、交遊、甫喜山氏とは家族ぐるみの付き合い、𠮷原関係、「遣光歴」と「辛丑日録」

漢詩人の経済ー鳥山芝軒「詩窮」生活困窮、頼山陽は在野の人「日本外史」経済基盤確保に奮闘

生老病死

寿命と歎老ー漢詩人の平均寿命は65歳、西島蘭渓「慎夏漫筆」わが身の白髪を目にした幸運、村上仏山「白髪を詠ず」

妻を悼むー漢詩人たちも多くの悼亡詩を残した、村上仏山「悼亡七首」、林読耕斎「空床稿」

夫と妻の交換日記ー川路聖謨の「浪速日記」と高子の「川路高子日記」の交換

人生いろどり

犬派猫派ー犬は番犬、皆川淇園「源仲選が狗児雪に戯れる」、六如「愛する所の払菻狗の死」「養う所の払菻狗、一旦之を失す、年を踰へて復た還る、感じてそのことを紀す」、猫は鼠捕り、関藤藤蔭「猫説」、祇園南海「猫を悼む」、服部南郭「児の愛する所の猫死す」

虫めづる殿様ー増山雪斎が虫を相手にする日は、交遊関係謝絶し部屋にこもり、子供に捕まえさせ写生、

西施乳と太真乳ーフグは、宋の洪駒父「西施乳」、秋山玉山「河豚行、戯れに岡士騏に示す」、西山拙斎「間窓瑣言」、増山雪斎「五山堂詩話」、牡蠣は、梁川星厳「太真乳」

牛鍋以前ー「安愚楽鍋」、寺門静軒「江戸繁盛記」でに山鯨、豚は普通に食べられ、牛肉は小菅桂子「水戸黄門の食卓」に記載、

まとめ

江戸時代に漢詩が大衆化、風雅と日常から江戸漢詩の情景を描いています、風雅のありか、文人の日常、生老病死、人生のいろどりで構成、