JIN Demo Site 8
My Natural Garden & Cafe
政治

忘れられた日本憲法 畑中章宏 書評

薩長による大日本帝国憲法発布の日、苦々しく思った人がいた、憲法草案「私擬憲法」をつくった一人宇加地新八の草案と生涯を見ていきたい、著者は民俗学者

選挙権は男女に拘わらずー元米沢藩士は主張

宇加地新八・米沢藩士の墓所を守る、戊辰戦争における敗北、慶応義塾で英語を学ぶ、「建白書」の時代、国家老・千坂高雅からの影響、「立憲君主制」を採用すべきだ、選挙権は「男女に拘わらず」、赤松小三郎の建白書-普選運動、天子への期待と制限、立憲君主制が最善だ、その後の千坂は内務省、出征、実業家、

「自由の理」と「自立」を求めた鹿児島からの投書

新聞に投書された憲法私案ー竹下彌平・「自由の理」と「自立」を実行するには・議会を開く場合の八ケ条・「在野の俊傑および博識卓見である」人々ー福沢・福地・箕作・成島・栗本、竹下彌平はなにものかー松元彌一郎武元、讒謗律と「新聞供養」ー施餓鬼の目的は反政府運動、

皇帝リコール権にまでおよんだ東北のラディカルな憲法討議の

謎に満ちた憲法評論ー小田為綱、持ち込まれ史料の中から東北開発に奔走した政治家、教育に注力した近世の盛岡、小田は藩校「作人館」の教授・寮長、元老院の「日本国憲案」は不採択、皇帝にたいする国民投票を唱えた下段評論と「廃帝の法則」を主張する上段評論・女性天皇の可能性、「天皇」についてなぜ自由に論議できたのかー権威とみなさない民衆、評者はだれだったのかー上段は小田・下段は諸説、小田の東北開発への見果てぬ夢

鉱毒事件に立ち向かった田仲正造独自の憲法案を構築していたか

自由民権運動は国会期成同盟に合流、憲法草案ー植木枝盛「東洋大日本国国憲案」と「五日市憲法」、国会期成同盟の請願ー国会開設と私擬憲法、植木枝盛の憲法構想ー人権保障規

定、千葉卓三郎らの「五日市憲法」は集団討議の成果、民衆運動の指導者・田中正造は中節社の一員、中節社の「国会開設建白書」は人民が国政の中心で権力は人民の利益擁護

「教育勅語」起草者の「反動」的な憲法案は受け入れられなっかった

「反動的な」憲法草案ー元田永孚、明治天皇の教育係、天皇親政運動の旗振り役、憲法起草の政府側の動きー井上毅「憲法中綱領之議」プロイセン憲法モデル、立憲主義からかけ離れた憲法構想ー元田「国憲大綱」、伊藤博文との確執から天皇機関説、明治憲法への道ー夏島草案、元田は「教育勅語」への関与・憲法制定から排除される、体制にはじかれた保守主義者ー元田、

越後の縮商人は憲法案に「死刑の廃止」を盛り込んだ

最も遅くに起草された私擬憲法ー田村中寛一郎「私草大日本帝国憲法案」基本的人権・越後縮の品質向上につとめる・交詢社に入社・地元での政治活動、田村は「私草試大日本帝国法案」検討・特筆すべきは「死刑廃止」の条文、天皇主権と国民の権利保障、妖怪博士・井上円了の講演、皇族につながる系譜ー田村の養子又四郎の娘静は、小和田毅夫と結婚、次男恒と妻優美子の長女雅子は皇太子徳仁と結婚、令和元年皇后、

まとめ

本書の私擬憲法は、近世から近代にかけて人々が抱いた構想であり、民俗史の領域と捉えられます、護憲や改憲を超えたアプローチがあると考えた次第です