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さけ

テキーラの歴史 イアン・ウイリアムズ 書評

強い蒸留酒に飲み方考案、テキーラの高級化、メスカルも飲んでほしい、テキーラやメスカルの製造業者に仕事ぶりに感銘、メキシコが世界にくれた贈り物を伝えたい、著者はジャーナリスト、著書はラム酒

メキシコの蒸留酒の歴史

アガべを原料とする蒸留酒はメキシコの土壌にあり、アガべ成育に10年で忍耐力を持つメキシコ農民、テキーラのボトルにNOMナンバー、当初の名前は「テキーラのメスカルで造った酒」、

テキーラとは何か

テキーラは厳格な規制対象、業界団体は「全国テキーラ産業会議所・CNIT」と「テキーラ規制委員会」でNOMの規制内容に多大な決定権、ミクストは認められているが、テキーラとメスカルの差別あり、CNITは国外の市場確保と呼称保護を政府に働きかけている、テキーラもメスカルも高級市場進出、パトロン社は、 メキシコのガラス瓶を使い世界一のプレミアム・テキーラ、オーガニックテキーラ登場・4コスパ、

奇跡の植物、アガベ

アガべはメキシコ原産、ヒマドールはアガベの葉を刈る職人、生育と繁殖に要する水を得るのに長い年月、アガベの品質維持と供給のために直営農場で栽培したり、農家に栽培委託した

人間とアガべと神々

アガベは野生種のまま食べることができたが、加熱することで甘くておいしい味に変わる、プルケは花茎に穴をあけ自然発酵、ビールより安い、メキシコ先住民の神話で、ウサギ・神々・アガベ、プルケはワンセット、多産な兎、神々に心臓と魂を捧げる儀式にプルケ、アガベとそれに関連するものは神話の世界、一杯のプルケを争うゲームもあった、

メキシコの蒸留酒の始まり

高級ブランドの蒸留酒は様々な神話をまとう、メキシコ国民のアイデンティとプライドは、まずメソアメリカ文化、スペイン移民のクレオール文化、先住民の再評価、メスカルとテキーラの見直しで、メスカルは蒸留酒、蒸留技術の証拠は不足

テキーラのふるさと

グアダラハラから北へ数時間テキーラ山が見えてくる、山の東側に小さな町テキーラ、ここでアガベ栽培、高台にグアチモントネス遺跡、ピラミッドが見つかり、黒曜石が 散らばっていた、スペイン征服者はプルケの蒸留酒の禁酒廃止、植民地政府と親しい関係のある業者は政府に一定の収入保障、見返りに酒類の製造販売の独占権を得た、名産地になった理由は、 輸送費用と高地拠点、独立後は良質の水とアガベを活用蒸留酒生産を本格化、アガベが繫栄したのは変種にあり、低地のウエベル・アスルはテキーラの原料となる唯一の種として神聖化、しかし種の多様性の欠如という観点から見ればウエベル・アスルは危機に瀕している、生き残るために人の手が必要、毎日窯に入れる分のピニャ収穫、蒸留所に運び蒸し焼き作業、 3日目に破砕機に入れる、

テキーラができるまで

テキーラのメーカーはアガベの種類は変えよう がないもの、生産地はハリスコ州、蒸留所に運ばれたピニャは蒸してすりつぶした液体を集める、純粋主義者は洗浄圧縮機の使用に眉をひそめる、醗酵槽に入れた後は、市販の酵母や地元の酵母を使う、蒸留には連続式蒸留器か単式蒸留器を使う、最低で2回の蒸留、熟成にオークの樽で最低2.3年、 高収益を目指してラ・コフラディア蒸留所、アガベを山岳地帯で栽培、生育に10年、20世紀末オーストリア人マーティン・グラッスルは 「ポンチャーノ・ポルフィディオ」のブランドを立ち上げ多くの愛好家から絶賛されたが、風当たりが強かったのは製品の60%を国内向け販売したことによる、テキーラ革命は、ポルフィディオでの生のまま圧縮、 酵素加水分解により糖をつくる、世界市場に進出して業社はボトルとブランドの重要性にきづいた、ポルフィディオのサボテンのボトル、

テキーラ業界の名門

大農園主はテキーラ製造、テキーラとメスカルとで製造法に大きな違いなく、蒸し焼きと石臼ですりつぶし、環境問題から加熱用窯・圧搾機・蒸留器は効率化、大農園主は農民と契約ウエベル・アスル種の栽培、ホセ・クエルボーメキシコのハリスコ州に土地購入しアガベの栽培「王立メスカル専売所」所長の座、スペイン国王認可「ビノ・デ・メスカル・デ・テキーラ・デ・ホセ・クエルボ」を作った、その後も政府と密接な関係、サウザーセノビオ・サウザはクエルボ社で帳簿係を経て輸送会社設立、ラ・アンティグア・クルス蒸留所を借り後に買い取り、サウザは「テキーラ」と名付けアメリカ合衆国に輸出、初めてメキシコ製のガラスボトルを導入、シカゴ万博で大賞、現在はドメック社の一員、エラドゥーラー蹄鉄を商標、1870設立、農園名はカーサ・エラドゥーラ、名門の変容では、テキーラメーカーは企業提携、買収受け入れたりしている、

メスカル

テキーラ・メーカーは、イモムシが入っていることを否定、メスカルとの差をはっきりさせようとした、メスカル・メーカーの中にもイモムシを観光用と言っている所もあるが、先住民がイモムシをタンパク源として食べることによる、法的保護がない製造者は「すき間市場」に進出、オアハカでスコーピオン・メスカル社を設立したアメリカ人ダグ・フレンチはサソリを入れたことで知られている、彼はメスカル産業がテキーラ業界のように繁栄すればオアハカは一変する、フレンチの仕事は小規模アガべ栽培に革命をもたらした、メスカルの歴史を知るためデル・マゲイ社の契約蒸留所見学、先住民によるテキーラ製法と同じであった、伝統ある蒸留酒の強み、ルイス・カルロスは山岳地帯でメスカルを造る、先祖のサポテカ族がもっていた装置や技術で製造、メスカル業界は「メキシコ・メスカル品質規制委員会」を組織、NOMの認証を受けた、その他のアガベ・スピリッツは独自にアピール、メスカルの地酒が世界市場に打って出る、

メキシコから世界へ

世界的不況の中でテキーラとメスカルは売り上げを伸ばした、テキーラを知らない消費者にはゆっくり口に含んで味わうこと、これから有望な市場はアジア、気候変動と食料危機が叫ばれる中,テキーラとメスカルに注目度は高まる、法的規制で収益はメキシコのモノになる

まとめ

メキシコの先住民は、自生していたアガぺを口にし、醗酵した液体を飲んでいい気分になりました、植民地時代で高級化、フローズン・マルゲリータの飲みすぎにご用心、