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親鸞

碧海寿広 考える親鸞を読む

皆さん親鸞てどんな人だと思います。本書は龍谷大学碧海研究員が考える親鸞について描いたものです

俗人の仏教

非僧非俗ー僧侶は結婚し家庭生活、葬儀や法事に基づき生活の糧を得る。親鸞は非僧非俗の宗教者、僧侶の妻帯は中世では珍しくない。江戸期僧侶の戒律違反の取り締まりが厳しかったが、明治以降日本の仏教は「真宗」化した。理由として僧侶風の活動する毛坊主の存在があった。

魂のずっと奥の方ー非僧非俗を外俗内僧と読み替えたのが清沢満之、その思想は「精神主義」自己の心の中の充実感、「精神主義」は「内観主義」とも言い換え、「外俗内僧」という言葉に呼応している。清沢がこだわるのは罪を犯した者を宗教の独立性で救済する

罪悪感の思想家

悪人正機ー服部之房「親鸞ノート」で親鸞を農民たちの思想的指導者、赤松俊秀「親鸞」で親鸞の共感者は商工業者、笠原一男「親鸞と東国農民」で親鸞の悪人観は非支配層に強い、

煩悩と懺悔のループー近角常観は自分は罪の塊「求道会館」設立、弟子に藤原正、喜村礒多は後に作家「業苦」執筆、哲学者・田辺元「懺悔の道」刊行親鸞の自己放棄から発案、

弟子として考える

歎異抄ー師弟関係が主要テーマ、同じ立場から指導者へ描き、近代の教養は江戸期の型がなく師弟関係の衰退をもたらした。倉田百三の「出家とその弟子」は師弟関係をモチーフ、

高僧に憧れてー吉川英治「親鸞」若い親鸞・国民の親鸞を描く、日蓮も日本人の支持を集めた高僧、文芸評論家・高山樗牛は信念を曲げない、真理の体現者と評している

超越と実存のあいだ

絶対他力ー暁烏敏は清沢の弟子で「歎異抄講話」絶対他力、

仏は唯一と知る人よー植村正久は浄土宗にキリスト教との類似性を認め法然の念仏に重ね合わせる、佐古純一郎は牧師で親鸞に愛着、亀井勝一郎は聖書から「聞信」刊行、三木清は真理・確信・実践が絶対で親鸞を一人の実存主義者として語りました

異端の精神史

法然と本願寺ー木下尚江は「法然と親鸞」で親鸞の流罪は思想を一新、親鸞は心の中に救済の場、本願寺に親鸞はいない、鈴木大拙は日本的霊は鎌倉期に顕現、親鸞の霊性の発見は越後の生活経験と位置づける、

ある歴史家の闘争ー家永三郎は親鸞と聖書を通じ宗教に取り組み、念仏ではない・念罪が教理

宗教の終焉

自然法爾ー人間の働きかけは一切存在意義を持たない考え、西田幾太郎「日本文化の問題」は自然法爾の思想、吉本隆明は「最後の親鸞」で限りなく親鸞に近づくこと「造悪」を倒し、自由意志拒絶

まとめ

己のただしさを疑わない人にとって必読書、教える親鸞が伝わってきます