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哲学

西田幾太郎の哲学 小坂国継 書評

真正の自己探求、根源的実在、個物と一般の関係は包み包まれる関係、超越的世界を否定、心の形而上学、唯心論から「物の真実に行く道」を明らかにしたい、著者は早稲田大学院博士課程取得、日本大学名誉教授、専攻は宗教哲学・近代日本哲学

自覚の哲学としての西田哲学

1直覚的自覚ー直観主義哲学、自己が自己自身をを直観、

2意識的自覚ー純粋経験に反省の契機が加わり、はじめて純粋経験を認識、真正の自己に目覚める

3場所的自覚ー自己が自己において自己を見る

4絶対無の自覚ー実在を作用、働きと考え自覚は作用の究極、自分の内に包んで見るもの、しかし自己の内にあるものは対象化できないー絶対無の自覚

5世界の自覚ー絶対無の場所の探求から、一転して歴史的現実界の構造と形成が考察の対象、自己の自覚が世界の自覚、

純粋経験

1純粋経験は真正の自己であるー純粋経験を唯一の実在、純粋経験は意識の連続性や統一性、

2マッハやジェームズの純粋経験説との異同ー参禅の体験から主客未分の純粋経験、

3根源的統一力とはー純粋経験を個人的なものに限らず、背後に統一的或者の存在を考える普遍的意識の背後に絶対的な普遍的意識を「根源的統一力」

4純粋経験の諸段階ー純粋経験は、未意識的段階から意識的段階、超意識的段階に至るまで幅広い段階を有する

5純粋経験と意識現象ー意味は同じ、発展の仕方はまず全体があらわれ、内容が分化発展する、精神と自然は分裂状態で現れる、意識現象の根源は根源的統一力で精神現象が優位、

6純粋経験と道徳ー倫理学を他律と自律に分け、どちらでもない直覚説・内実は良心や理性自律学説を合理説、快楽説、活動説に分類、西田の倫理学は活動説、本来の自己実現する要求、個性や個人性重視、自己と物の区別自体がなくなったとき実現、

7純粋経験と宗教ー西田哲学は内在的超越主義者で、外在的超越世界を認めていない、宗教が道徳の延長上にある

自覚

1自覚の概念ー反省的思惟は純粋経験にとって外なる契機、結合する原理が「自覚」、西田は直観と反省の内面的関係を明らかにするのは自覚であって、自覚的体系を不断の動的過程と考える

2事行と自覚ーフィヒテは自我があることは活動があること「事行」、西田は高評価、「自我は自我である」は当為を含み「事行」

3論理的体系についてー同一の原理の成立は自発的発展がなければならない、「自己が自己を見る」という自覚の形式、

4数理的体系についてー 論理の世界から数理の世界に展開していくには、論理にある内容が付け加わらなければならない、すなわち自覚的発展の一形式、ただ1者と他者が性質的対立の意味を失い、自由にその位置を交換することによってはじめて1=1の等式が導かれる

5経験的諸体系ー自覚の思想は極限の概念と結びつくことによって、内なる非合理的性格いっそう鮮明になる、ある体系からある体系のへの移行は全体より起こる、「絶対自由意志」の存在を想定、

6絶対自由意志とは何か-自覚の根底「意識する意識」である、

7種々の世界ー絶対自由意志は最も直接的で具体的な実在であり、絶対的創造であり、そこからいっさいの世界が産出される、

場所

1絶対自由意志から絶対無の場所へー「意識する意識」を「絶対無の場所」として捉えた、手懸りは場所、展開される論理を述語的論理

2述語的論理主義とは何かー場所の論理は述語の論理、個物と普遍が相即相入の関係を説く、

3絶対無の場所ー判断における主語が特殊化するとそれを包む述語は大なる一般者、一般者の特殊化が極限において個別に達したとき、個別を包む一般者はあらゆる述語を内に包む一般者、それが「絶対無の場所」、ここに包摂関係の逆転が生じる、

4自覚の論理と場所の論理ー真正の自己と絶対無の場所は一体にして不二なるもの、そこにあるのが自己の自覚、

5重層的内在論ー特殊なものを包む一般者としての「場所」は①有の場所・自然界②意識の野・対立的無の場所③絶対無の場所で重層的に重なる、つつむ

絶対無の自覚

1場所から一般者へー判断的一般者・自然界を内に包む一般者が「自覚的一般者」、これに対し現象界を超越した一般者が叡智的一般者、叡智的世界の極限に「無の一般者」が考えられる

2一般者の諸体系ー判断的一般者は最初の具体的一般者、自己は判断的一般者を包むより大なる一般者である「自覚的一般者」によって包まれる、その後において叡智的一般者に到達、道徳的自己は叡智的一般者の最後のもの、

3絶対無の自覚とは何かー無の一般者は超越した一般者、自己は「映す鏡」となり、自己の根底は絶対無で映す要素が残り、知識の根本、絶対無自身が自己を反省する立場、

4哲学と宗教との関係ー絶対無の自覚は道徳的自己矛盾の極限において、一転して到達する宗教的意識、宗教的意識の内部から反省の立場に立った時、真相に近づくことができる、

絶対矛盾的自己同一

1弁証法的世界ー絶対無の自覚的限定として歴史的現実を見ると、①歴史的現実界は多くのものが複雑に関係しあう多極的世界②歴史的現実界は行為的自己と環境が相互に限定しあう世界③自己の概念が行為的自己に変化④絶対無の自覚的限定としての世界⑤歴史的現実界は現象界という側面と実在界という二重構造⑥歴史的現実界は不断に新しい形を創造していく創造的世界

2絶対矛盾的自己同一とは何かー歴史的現実界は弁証法的世界で、「内即外」「一即多・多即一」の論理的構造を「絶対矛盾的自己同一」と呼ぶ

3場所的弁証法ー絶対無の場所の自覚的限定として歴史的現実界そのものが弁証法的論理構造を有する、「場所的弁証法」と呼ぶ

4三種の世界ー①物質的世界・時間的限定②生命的世界・環境から独立してない③歴史的世界・時間的限定が空間的限定、

5行為的直観ー歴史的現実界は、行為的自己の側から見ると、行為即直観‣直観即行為といった絶対矛盾的自己同一的構造、

6作られたものから作るものへー歴史的現実界は、「作られたものから作るものへの」の世界、

7物の論理と心の論理ー「日本文化の問題」で形のない文化と考える、心の論理

8世界の自己の自覚ー行為的自己を「創造的世界の創造的要素」という場合、自己は自覚的自己、自己は世界、世界は自己

逆対応

1逆対応の論理とは何かー自己と超越者、相対と絶対との、無の宗教的関係をいう、絶対も相対もともに自己否定することで対面

2絶対矛盾的自己同一と逆対応ー絶対矛盾的自己同一の世界は何処までも、逆限定の世界、逆対応の世界でなければならない

3逆対応と平常底との関係ー絶対矛盾的自己同一の論理の「絶対矛盾的」の側面を強調したのが「逆対応」、「自己同一」の側面を強調したのが「平常底」で無限の奥行、

4宗教的自覚の論理としての西田哲学ー西田哲学に一貫しているのは「宗教は学問道徳の根本」

まとめ

西田哲学の全体像についての解説書ができ、安堵しています、彼のものの見方や考え方の基本を掴むと理解しやすいのではないでしょうか、西田の功績は西洋の実在感を覆し東洋的な無の形而上学の提示にあると思います、本書が江湖の読者に迎えられることを願っています