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江戸時代

もっと知りたい円山応挙 樋口一貴 書評

応挙は18世紀後半の京都画壇にあって、本流の巨匠。応挙といえば「写生」、中国画と眼鏡絵に探り、先駆的な新しさを生み、近代絵画を形づくった過程を追求します。著者は慶応義塾大学院博士課程中退、十文字学園女子大学教授、研究分野は丸山応挙

「七難七福図巻」の世界

前半生最も大きな影響を与えた円満院門主裕常、「七難七福図」は裕常の求めに応じ制作、裕常の意図はリアリティ、祐常の下絵と応挙の画稿、見どころは・水・火災・地震・雷と雨・大蛇・盗賊・老夫婦の祝賀と祝宴の調理

都で才能を開花させた京師の人

丹波国生まれ、京都に上がり商家奉公、絵師人生の出発・尾張屋勘兵衛

絵師「応挙」ができるまで

沈南蘋から花鳥動物画を学ぶ、「枇杷寿帯」影響している「双鶴図」「花鳥図」「青鸚哥図」、眼鏡絵は「三十三間堂」・ほかに「白鷹図」「山水図」「淀川両岸図鑑」

応挙の才能を見出した円満院裕常

円満院門主裕常は当代きってのインテリで応挙を寵遇、記録魔の祐常「萬誌」と写生画の応挙「牡丹孔雀図」、出会いから「七難七福図」、ほかに「驟雨江村図」「鵜飼図」「信貴山縁起絵巻 延喜加持の巻」・作品制作のために描き貯めた写生と模写、

三井家の庇護のもとで

裕常没後、庇護者になった三井家、40歳 を超えた頃から屏風絵が目立つ、「雲龍図屏風」「山水図屏風」、二大傑作は「雨竹風竹図屏風」と「藤花図屏風」、ほかに「夕涼み図」「行水美人図」「狸図」「郭子儀祝賀図」「百蝶図」「梅花双鶴図小襖」「群鶴図屏風」

応挙工房による障壁画の政策

応挙に多くの弟子、応門十哲で源琦と長沢芦雪、円山派の総力結集した障壁画は大乗寺の一連の作品、天明期に集中する障壁画制作、本願寺山科別院「春景海浜図」・愛知明眼院「老梅図」「芦雁図」「老松図」・和歌山の草堂寺「雪梅図」・無料寺「波上群仙図」「山水図」・南禅寺帰雲院「海辺老松図」・金刀比羅宮「遊鶴図」「游虎図」・亀岡の金剛寺「波濤図」、ほかに「幽霊図」「白狐図」「拡元先生像・端淑孺人像」「神州和尚像」「氷図屏風」「雲龍図」「朝顔狗子杉戸絵」「木賊兎図」「西王母龍虎図」「王羲之龍虎図」「青楓瀑布図」、雪松図屛風は雪景色、老松と二本の若松、光や大気まで表現、大乗寺襖絵は、山水の間の構図、孔雀の間の墨の色彩感、郭子儀図襖、

やり残した仕事を完遂

寛政期の御所造営で障壁画制作、金刀比羅宮と大乗寺の障壁画制作、ほかに「富士図」「江口君図」「保津川図屏風」

まとめ

応挙は京都で才能開花、絵師「応挙」は中国画と眼鏡絵がルーツ、才能見出した円満院門主裕常と三井家の庇護、門弟を抱え応挙工房による障壁画制作、雪松図と大乗寺襖、御所造営で障壁画制作、応挙の目指した写生とは中国南画にあるといえます