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京都画壇

十八世紀京都画壇 辻帷雄 書評

18世紀の京都画壇才能輩出、形式の殻を破り新しい表現が姿を表します、長崎からの明清の新技法に銅版画の透視遠近法と、京都近隣から移った庶民的町人出身画家の層が形成され、自由な発想と表現を生んだことを取り上げたい。著者は東京大学卒、東京大学名誉教授、専門は日本近世絵画史

18世紀京都画壇総論

画一化と個性化で庶民が美を生活に、閉ざされた窓から―長崎から新しい表現手段の到来と吸収、黄檗宗の渡来で中国文物取入れ、新しい唐絵―明清文人画の移入、初期南画家たちー南郭・南海・淇園・百川の4人、外光との戯れー大雅が出て自然は面目一新、俳人兼南画家-与謝蕪村は明清画風、写生と装飾との融合―応挙の写生は中国絵画、奇想の画家たちー京画壇の最後の光芒、個別表現への突破口-白隠の禅画は素人絵、奇よりも狂ー曾我蕭白はパロディ化、青物問屋の幻想―伊藤若冲は動植物の観察、鳥羽僧正の再来‐長沢芦雪は機知的表現

日本文人画の成立―中国から日本

用語の問題は南画、中国の文人画と文人画論の正統は士夫画、日本への移植ー南画以前は室町水墨画、初期南画は4人・自我の自覚、大雅と特別目をかけた淇園、祇園南海との出会いーむすびに代えて、中国と違って階級意識がない世界

池大雅-南画の大成

「蘇東坡孟嘉図屛風」は蘇東坡と孟嘉落帽の故事、「白隠慧鶴賛・葛の葉図」は人形浄瑠璃ヒロイン葛の葉、寿老図、

与謝蕪村ー翔けめぐるマルティ芸術家の創意

銀地「山水図屛風」は南宗画の筆法、蕪村は俳人早野巴人の弟子となり「梅花図」制作、京へ出て丹波で俳句と絵、蕪村の先達・彭城百川は俳句と中国画法、再び京都に戻り狩野派に学ぶ、王蒙に倣った「倣王淑明山水図屏風」を描くが、全然似てない「倣」作品、沈南蘋の画風取入れ、中国風人物図は職業画家風だが掛け軸は素人ポイ、町絵師蕪村ー客の注文により「描き分け」、大雅との合作「十便十宜図」、俳人蕪村「三菓社」で句会と句集、俳画を売る、再び銀地「山水図屏風」の世界

応挙と円山派ー巨匠の「写生」と「異常」

探幽から光琳へて始興に受け継がれた写生図は、応挙により集大成、半走者として支持した円満院門主裕常、「写生」は理念、画家が見ることない残虐な光景も描き、代表作は「雪松図」と「松に孔雀図襖絵」・大乗寺、応応挙の弟子で長沢芦雪のみ取り上げました。

伊藤若冲-不思議世界のリアリティ

動物綵絵の空間のぎこちなさは、心の内なる秘密、中国花鳥画の模写から「旭日鳳凰図」、「動物綵絵」、生前墓碑銘を依頼された友人大典は、鶏の写生と銘文は「宣和画譜」から翻案した記録を残す、「紫陽花雄鶏」「雪蘆鴛鴦図」「紫陽花双鶴図」

長沢芦雪ー画家のウイッド

海外でもてはやされる芦雪、独眼竜の視覚、型を作る画家と型破りの画家・芦雪、再構築したのは、かたちの驚きと機知的解釈、晩年のグロテスクへの傾倒、芦雪は白隠の次世代僧から禅の精神と禅画を学ぶ、「白像黒牛図屏風」は奇想横溢した作品、「松竹梅図」はパロディ風、

曾我蕭白ー狂躁と逸格

蕭白の習作期、京狩野系の手法、狩野派から曾我派の画風の奇妙な表現性を活用、伊勢各地放浪、40からの画風は、表現の沈静化、「群仙図屏風」「波濤群鶴図屏風」「月夜山水図襖絵」「鷹図」「群童遊戯図屏風」

まとめ

18世紀の京都庶民画家たちが、中国画と遠近法を用い、型破りの絵画が生まれました。総論から日本文人画の成立、池大雅・与謝蕪村・応挙と円山派・伊藤若冲・長沢芦雪・曾我蕭白を取り上げており、京都の革新性を感じさせます