皆さんブリーダーの使命は何だと思います、本書は竹下大学が日本の品種のすごさを執筆しています
ジャガイモ
アーリーローズは、アメリカのアルバート・ブレシーによって育成、うまくて儲かる品種。マックフライドポテトは、全量アメリカ輸入で9割がㇻセットバーバンクの品種、長さと糖分が少ないこと。ルーサー・バーバンクはジャガイモの品種改良不可能、23粒のタネからすべてに点でアーリーローズを凌駕した個体が得られた、この権利をジェームズ・グレゴリーに売る。男爵イモは、川田龍吉男爵が、農場で作った品種「男爵薯」、大凶作の時被害が少なく年を乗り切った、数年後北海道が定める優良品種に選ばれた。「メイクイーン」の北海道の優良品種は「男爵薯」と同時期、「メイクインイ」は関西から火が付いたがえぐみが欠点。「甲州薯」は中井清太郎が導入普及。ジャガイモ育種はイモで増やす、疫病に弱い、ポテトチップは「トヨシロ」「ワセシロ」、カルビーポテト「トヨシロ「スノーデン」「きたひめ」「ぽろしり」と「ㇻセットバーバンク」、フライドポテトは、米国産原料の勝利に終わった。2000年ごろコロッケもポテトサラダも「男爵薯」、ポテトサラダは「さやか」に変わる。シストセンチュウに抵抗性品種はない。カラフルとは果肉の色、紫や赤のジャガイモが開発、インカのめざめは黄色、デストロイヤーは紫色の皮の目を中心に赤い斑点、長崎は日本2位のジャガイモ産地、「デジマ」
ナシ
ナシは固有種、品種改良は①長十郎、當間辰次郎が種から身を実らせた苗木から販売「長十郎」、黒斑病発生に長十郎は被害請けず名が知れる。接ぎ木は延喜式で特別扱い、明治から「高接ぎ更新」、欠点は日持ちの悪さでに二十世紀に代わられる、松戸覚之助はナシの幼木を持ち帰り育て、食べて甘く、「新太白」、日露戦争で二十世紀と改名、鳥取は土壌乾燥に強く、黒班病に取り組んだため、品種改良で「おさに十世紀」「ゴールド二十世紀」誕生。欠陥「孝水」は剪定方法からアプローチ、剪定技術を発明、第二位の「豊水」、第三位の「あさつき」。神奈川県農業技術センター、樹体ジョイント仕立て法、果物の袋掛けは、害虫と病気から果実を守るための栽培。関東のナシ栽培で下総八幡は川上善六、美濃の穂木を葛飾八幡宮のナシを台木として接いだ、市川のナシはJAいちかわが出願、50軒の直売所。白井市は登録2014年、「白井梨マラソン大会」がある、赤ナシは東日本、青ナシは西日本で好まれる、
リンゴ
生産を目的にした栽培は北海道、プロイセンのライノルト・ガルトが22種の苗木を植えている。翌年ガルトネルの農場買い取り、 開拓使七重開墾場、アメリカから顧問としてホーレス・ケプロン、北海道大学、サッポロビール設立。菊池楯衛は、果樹の苗木を増やすには西洋式の接ぎ木を含めベーマーから直接指導を受けている。海外から導入された品種は各地で異なる為「苹果名称一定協議会」、前田正名はどの産地にも新しい名前をつけ、紅玉、国光、祝、鳳凰卵、柳玉はそろって改名。日本の西洋林檎の交雑育種は青森の前田顕三、理由はリンゴワタムシ大発生で殺虫剤を使わず選罰2回目は上遠は天敵,ワタヌシヤドリコバチを用いて全国配布、成功。「国光」は「紅玉」と並ぶ二大品種、三位に「デリシャス」「スターキング」導入は銀座千疋屋、「ゴールデンデリィシャツ」はアンダーソン・マリンズ農場で発見。リンゴの神様・島善燐は儲かるリンゴの栽培技術に確立、薬剤散布暦作成、ゴールデンデリシャス導入。ふじの登場、藤崎町とふじにあやかってつけられた、ふじは育成元が指導、確立したのは斎藤昌美、接ぎ木で斎藤が採ったのが寄せ接ぎ、海外では知的財産権も主張できない、青リンゴは王林、つがるは長野のせんりゃく商品、ジョナゴールドは王林と生産3位を争う、果肉まで赤いリンゴは世界的トレンド、
ダイズ
畔豆を植えることを推奨、大豆での豆腐は、庶民が豆腐を口にできるようになったのは江戸時代初期、庶民が納豆を食べるようになったのは江戸の中期、味噌は江戸時代、自家製味噌つくりが盛んになる、醤油生業は室町時代末期、現在一位はキッコウマン・二位はヤマサ・三位はヒゲタである。国内のダイズは、豆腐用は高たんぱくで粒が大きい、納豆は、小粒の品種が向く、煮豆用は臍が種皮と同じ色で粒が大きく皮が裂けにくく煮崩れしない品種、味噌用はダイズを加熱した時の色合いが明るい品種となる、醤油にも高たんぱくだが脂質が少ない条件が加わる。フクユタカは豆腐向きの品種,ユキホマレは煮豆・納豆向き、エンレイは豆腐、煮豆。味噌に向く。日本一の産地は北海道、枝豆は豆ではない、夕暮れ収穫がベスト。だだちゃ豆は鶴岡の特産品、昔と比べて味が変化、ピーマン・ニンジン・トマトがあまくなったが、枝豆 も「湯上り娘」はビールに合う、青豆も秘伝の改良で味ユタカ、秋田ほのか。だだちゃより有名丹波黒大豆、もやし生産は栃木、青森の大鰐町は伝統野菜「大鰐温泉もやし」がある、
カブ
千枚漬けになるには、がぶは聖護院カブ、タキイはF1品種「早生大蕪」発売、F1品種は一代雑種で、生育早く・病気に強い。外山亀次郎が蚕からF1品種実用化、野沢菜は、天王寺の種子を持ち帰り姿を変えたもの、現在天王寺蕪は「難波の伝統野菜」。「渥美蕪」は急斜面の焼畑で栽培、京都の酸茎菜は乳酸菌が発酵して作り出す味。長野のすんきは、塩を使わない発酵食品、金町こかぶは下千葉小かぶが早生に改良された品種。タキイ種苗はF1品種の「耐病ひかり」発表、つぎに武蔵野種苗園「白鷹」「夏蒔13号」、かぶら寿司はF1品種の百万石青首蕪に変わった、
ダイコン
日本人は大根食い、平安時代の高級食材も庶民が食べたが、キャベツに抜かれた。大根は青首と白首に大別、尾張の大根は「方領大根」は白首「海東郡方領大根採取組合」結成、タキイは、病気に強く、ス入りが遅い、総太り型の「耐病総太り」投入。台風20号は三浦大根直撃で関東人の味覚を青首にかえた。練馬大根は練馬村で栽培、8割が漬物、桜島大根と森口大根は重さと長さでギネス記録。聖護院大根は、尾張の宮重大根から種子を採り異なる姿に改良したもの。辛み大根は、秋田の鹿角のF1品種「あきたおにしぼり」普及、春大根はF1品種は「春蒔みの早生」トンネル栽培普及。タキイは「夏みの早生1から3号」を商品化。、亀戸大根は春大根、復活には塚本光伸と鈴木藤一、宮城の小瀬菜大根は葉っぱを食べる
ワサビ
ワサビ栽培が始まりは静岡の有東木、家康に献上、今では伊豆の湯ヶ島から各地へ広まった。ヱスビー食品のアンケートで蕎麦の薬味に刻みネギ、次にワサビとあり、めんつゆの生臭さを消すに辛み大根からワサビに変わったことがわかる。これには粉ワサビの発明がある、エスビーは練わさび発売。「真妻」は料理人と食通に珍重された品種、産地も御殿場にかわった、島根3号とふじだるまも大きく貢献している。安曇野の栽培は明治初期、鉄道開通で広がった、大王わさび農場は人工的に作られたもの、深沢勇市が開墾決意、大王農場完成。糸魚川の渋谷一正、ハード面からイノベーションを起こした、湧き水から井戸水の転換で安定した水温維持と、三好アグリテックからのメリクロン苗導入。山葵文化隊長は、日本固有、中心地は山陰と北陸、「もちわさび」発見
まとめ
北海道のジャガイモは、アーリーローズ、マックフライポテトの原料はラセットバーバンク輸入品、ルーサーバーバンクは植物の品種改良に貢献、男爵薯栽培、メークイン導入、甲州薯栽培、カルビーのポテト戦略、コロッケは男爵、ポテトサラダはさやか、ナシは長十郎,ライバル二十世紀、松戸、鳥取、幸水・豊水・あきつき、市川のナシ、リンゴ生産の北海道、紅玉の名前由来、リンゴワタムシ、国光とデリシャス、千疋屋、ふじ登場、ダイズの用途と特性、だだちゃ豆と湯上り娘、丹波黒豆、F1品種の実用化は日本リード、野沢菜、天王寺蕪、酸茎菜、すんき、金町こかぶ、かぶら寿司、大根は青首大根、三浦大根はレディーサラダ、練馬大根と沢庵付け、辛み大根、春大根のトンネル栽培、復活した亀戸大根、ワサビは静岡の有東木で栽培、現在では伊豆の湯ヶ島、辛み大根の代用ワサビが粉末から練りワサビに、食通は、真妻、島根3号、ふじだるま、安曇野のワサビや大王わさび農場や糸魚川の渋谷一正、