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神道

日本人の神道 島田祐巳 書評

土着の神道、仏教伝来、神仏習合、神道は宗教か、生活習慣か、神社とは何か、神話と天皇を考えることは、「日本人の精神性」を明らかにする意味のあることです、著者は東京大学院博士課程修了、東京女子大学非常勤講師、宗教現象を幅広くテーマ

神とは何か

神道は近代から宗教ととらえられた、日本には327柱の神(日本書紀と古事記)、本居宣長が定義の日本の神は①神話の神②神社に祀られる神③徳のあるものは神、悪をもたらす存在でもある、神道の神々には、世界を創造した絶対的な神は存在しない、祈りの言葉がない神道、祈る対象は神社、神道系の教団・天理教の場合ー10柱の神と天理王命「親神」、

祭祀に現れる神

神道における祭祀の方法ー近代は立ったまま拝礼、近世は座り込み合掌、古代神道の祭祀が行われたのは磐座、明確に示す沖ノ島の祭祀・古事記編纂より前に行われた、仲哀天皇が琴を弾き神功皇后憑依、神の言葉を伝えた古事記の記述、八幡神は応神天皇に習合・第2の延喜式皇祖となり、大仏建立完成を導きたいと託宣、天理教は教祖中山みきの神憑りから始まる、古代日本人は神との出会いに磐座を選んだ、

神はいつから神社に鎮座しているのか

神道の宗教施設が神社、延喜式神名帳に官幣社と国弊社、さらに大社と小社に区分、日本最古の神社建築は宇治上神社、絵巻物に描かれた神社の社殿は「信貴山縁起絵巻」「出雲神社牓示図」、「一遍聖絵」に描かれた神社は熊野本宮大社・伊豆三嶋大社・美作国一宮の中山神社・石清水八幡宮・厳島神社、神社に社殿が立てられるのは、祭祀は磐座・山が神体山、聖と俗の分離で鳥居、本殿に神が祀られる、神が社殿の中に常在は弥生時代、高床式神殿と推測、神が神社によって独占される、

神宮の式年遷宮はいつはじまったのか

はっきりとした年代はわからないが、いつからか伊勢神宮には朝廷から神宝が奉られるようになり、やがてそれを納める宝殿が設けられ、宝殿の傍らに神が鎮座する正殿が設けられた神宝を奉るのは20年に一度、宝殿さらに神殿も立て直しの感覚が生まれる、社殿が垣で囲まれると社殿の建物が立派なものになる、

出雲大社の生き神・国造

出雲大社の遷宮は屋根の葺き替えが主、本殿の内部は祭祀を行う空間、以前は一般の神職も中に入り祭祀を営む、神職佐草自清の日記からは、御内殿に国造の座が設けられ、御内殿と国造に向け献饌、国造の祖先が神とされた・「火継式」「真菰神事」、平安初期に政治的権威を失った国造は意宇から杵築へ移った、国造孝宗と弟高貞とで祭事と所領分掌・千家と北島家の始まり、国造の生活は制約を受け、生き神として信仰を集めるのは明治以降、神賀詞奏上の儀礼で献上される玉は天皇の長寿を祈るものだった、

神道と仏教の戦い

日本仏教の特徴は各宗派の宗祖の存在、規模拡大は近世以降、本地垂迹の関係は興福寺の本尊と春日大社の祭神、神道の持つ「祟りを鎮める役割」代表例が菅原道真で、祟りをもたらす人物が神となる、近世以後その人物を死後に顕彰するために神として祀る、秀吉と家康・各藩の藩主が神として祀られる・靖国神社の「英霊」、

社殿のない神社

恐れなくなった神の存在、神の存在はこの世から消えた・「神は死んだ」、神道の利点は「教えがない」こと、神を狭い空間から解き放つ、原点に立ち戻る

まとめ

神道を信仰していますか、神道は身近で縛られることもありません、問題は神道の自然さを失わないことです、神とは何か、祭祀に現れる神、神はいつから神社に鎮座しているのか、神宮の式年遷宮はいつはじまったか、出雲大社神・国造、神道と仏教の戦い、社殿のない神社で構成