日本のコメをめぐる様々な問題を、田んぼを切り口にコメ問題を解体し、正体を明らかにするとともに、激変する過程を解説しています。コメ問題にピンとこない人も、ぜひ読んでください。著者は東京農工大卒、早稲田大学院博士後期課程修了、現在農政調査委員会専門調査員
コメと田んぼに分けて考える
コメ問題の本質は田んぼ余り、コメだけ考えれば深刻な問題はありません。本当に深刻なのが田んぼのコメ離れです。御飯用の田んぼの面積が減少しています。
コメに満たされた日本人、1967年
1967年日本でコメ余りになります。徴兵制や食料配給で全国主食の座、自給達成、飢えと隣り合わせのコメ作りから、飢えから解放されたコメ作り、結果、コメの在庫が積みましコメ余りは確信に変わっていきます。
コメ余り問題から田んぼ余り問題へ、1978年
コメ余り問題は田んぼ余り問題に置き換わり、少子化や食の多様化で、コメは行き先を減らし、作りすぎない方向へ舵を取ります。田んぼを余らせ、うまいコメ作り、効率の悪い田んぼはコメ作りをやめることだが、日本全体無秩序にコメ作りから脱落。農政の方向は、日本型食生活と集落営農、特産品やえさ米、模索に成功し、コメから脱却した田んぼがと、コメしか作れない展望困難な田んぼに分かれました。
コメ問題の国際化、1993年
コメの自由化は、非貿易的関心事項の要素を反映、最低限の輸入機会を設け交渉決着、輸入されるミニマムアクセス米は、国内コメ市場と隔離扱い、危機感からブランド米の誕生と棚田オーナー制で地域住民とのふれあいが全国に広がります。食糧法ができ、コメを売れる時代、流通の多様化でコメの値段は下がりました。結果日本人がコメに悩む必要のない社会が実現、農家に割り当てられる目標は、コメの量に変わり、田んぼのビジョンは地域に押し付けらます。
水田フル活用という思想誕生、2008年
コメは補助金や政党と深く結びつき、余った田んぼは票田、水田フル活用は「コメを作らせない」「できるだけ広い面積の田んぼを使う」「同じ田んぼにできるだけ多くの農産物を植える」、余った田んぼは小麦や大豆、パンやえさになるコメが作られ、2021年には、一度も水を張らない田んぼは補助の対象外、
まとめ
コメと田んぼに分け、コメ余りから田んぼ問題の本質発生、コメ問題の国際化で、ミニマムアクセス輸入米登場、コメに悩むことのない時代到来、水田フル活用で、余った田んぼは票田となり、小麦や大豆、パンやえさになるコメ作り。うまいコメが作れない田んぼに余っている豊かさを発見することが重要、効率の良い農地で輸出用の農産物を作り、中山間で食料安全保障を確保、農産物輸出国を目指すのもありです。そのためには、新たな基本法、憲法が検討される時期に来ています。