本書は広島カープ生みの親・谷川昇、三木武夫、フリーメイソン、田中角栄と戸川猪佐武「小説吉田学校」を通じて、人々が語りたがらない占領期日本の実像を明らかにすることで、いかにアメリカと向き合ったかを浮かび上がらせたもの、著者は東京大学大学院博士課程修了、青山学院大学教授、専門は日本現代史
広島カープの生みの親・谷川昇の軌跡
1異例の大抜擢ーアメリカ経験のあるノンキャリア、山梨県知事・さらに警察組織のトップ内務省警保局長、鳩山一郎公職追放の衝撃、異例の続投・留任へ、警察制度はどのように改革されたかーGHQの分権化の方針、「外交=GHQ」を担当する内閣官房副長官体制
2公職追放に遭うー予想もつかなかった出来事ー谷川の公職追放、追放された「表向きの理由」は「牽強付会」、「手記」に見る不思議な話ー進駐軍の日本家庭出入り内偵(スキャンダル)、GHQの内部対立ーGSとG2の対立、追放の「真の理由」とはーG2の警察によるGS内偵、谷川はケーディス内偵を指示していない、GS(ケーディス側)の勝利、
3カープ創設から劇的な死までー「カープ」か「カープス」かでコイ「カープ」、「皆さん、カープはいま誕生しました」ー自治体からの支援、なぜ谷川に声がかかったのかーGHQ意向、球団運営から突如の撤退ーGS公職追放の意向を受け特審局指示、なぜ手を引かされたのかー野球を通じて追放解除画策容疑、占領政策が転換するまでー朝鮮戦争で公職解除・警察法改正案「逆コース」を推進、突然の死ー廃案と総選挙中の突然死、代理戦争の犠牲者ーGSとG2の代理戦争の犠牲者
「バルカン政治家」三木武夫の誕生
1イメージと実像のギャップー協同党系・中道政治の担い手として、ギャップ①「金集め」のベテラン、ギャップ②三木と「派閥」-日本民主党結成時の影響力、「三木答申」の本当の意義とはー党風刷新連盟の主張を取り入れることで反主流の策動封じた点、なぜ実態が報報られれなかったのかー三木とメディアの関係
2三木を守り、助けた知米派ー公職追放の危機から脱するー戦時中の言動不問・親米政治家と評価、戦時期に深めた岸信介との関係ー岸の商工相や国務相兼軍需次官時代に接していた三木人脈の中核①ー福島慎太郎は有力ブレーンで知米派、三木人脈の中核②ー平澤和重は対米工作、福島の推薦でブレーン、三木人脈の中核③ー松本瀧蔵は明治大学以来のつきあい・アメリカ通でGHQに人脈、サーヴィス・センター・トーキョーとは何かー公職追放解除関連の活動、「対マ司令部折衝部」と呼ばれた
3山崎首班・三木首班・吉田首班ーGHQとの密接な関係、なぜ山崎首班事件を検討するのかーGSが中道連立政権バックアップ、吉田か、山崎かー民自党の混乱、浮上する「三木首班」構想ーGS推薦、マッカーサー・吉田茂会談の真相ー首班問題はない、山崎本人はどう動いてきたかー事態進展に任せる、多数派工作の実態、194810月14日ー首班指名が先か辞表願いが先かー辞表が先で首班は吉田、もし三木首班が実現していたらー選挙管理内閣、マッカサーの真意ー吉田にはやりたくない、「合掌連衡の天才」ー三木武夫
フリーメイソンと日本の有力者たち
1日本人の入会とその活躍、日本におけるフリーメイソンの前史ー最初は横浜のスフィンクス・ロッジで各地に開設、戦後はGHQ関係者により主導、「従来の誤解を一掃したり」ー河井日記の入会手続き、河井弥八を勧誘したリヴィストとは何者かー陸軍入隊・GHQ の一員でフィリピンのグランドロッジを説得・日本人の入会を可能にした、三島通陽と「歴史から消された男」村山有ーリヴィスと一緒に河井を勧誘した三島は参議院議員で三木の国民協同党に所属、村山はフリーメイソンに入会「日本のフリーメイソン」、二人が関与したボーイスカウトはGHQから承認された、河井弥八のフリーメイソンに対する関心ー熱心な会員ではない、日本人入会者顔ぶれー与党民主自由党の有力者がいない、緑風会議員に声をかけた、活躍中の著名人がいない、なぜ日本人がフリーメイソンに入会したのかーGHQとの交渉ルート確保と追放解除
2昭和天皇のフリーメイソン化計画ーマッカサーの勧誘、パケナムの「日記」から検証するーリヴィストが宮内庁に働きかけ入会工作、リヴィストの天皇との会見に吉田首相が反対、リヴィストの「不行状」の実態・闇取引、フリーメイソンの旧皇族・旧王族工作は一定の成果、「昭和天皇拝謁記」により判明した新事実ー天皇のフリーメイソン化失敗、
3グランド・ロッジ設立の混乱、ーイングランドのグランドロッジとフィリピンのグランドロッジに何らかの感情的しこりが残っていた、河井と鳩山一郎の二階級特進、関東ロッジの設立とRITUAL日本語化、政界ジープ事件の思わぬ余波ー李と二木の問題は、李のグランドマスターの可能性消滅と設立を葬ることで決着、なぜ設立を強行したのかー李がマスターを退き大きな障害が取り除かれたと判断、
4日本におけるフリーメイソンの実態、フリーメイソンの日常活動ー慈善事業に関わる、フリーメイソンは日本の政治を動かしたのかー日比賠償協定でフリーメイソンという団体活用、「入れるだけの魅力も意味もなくなった」ー日比賠償協定締結
田中角栄伝説と戸川猪佐武「小説吉田学校」
1山崎首班事件における田中角栄の活躍、評伝が参照する戸川の著作ー山崎首班工作進展の中、引退覚悟の吉田を前に、田中が吉田首班を主張しGHQ批判により、吉田が自信を取り戻し、総務会の空気一変のエピソード、田中の当選一回の政務次官は珍しかった、小沢佐重喜重用に見る吉田の起用法ー山崎首班潰しに活躍、戸川が描いた「任侠」田中角栄の大舞台ー引退翻しシナリオが崩れる、幻の「総務会」ー史料的根拠なし
2戸川猪佐武が描く田中角栄像の変遷、政治記者としての戸川猪佐武ー河野の紹介で読売新聞入社、民主党担当で二級品を狙う、河野一郎との特別な関係は総選挙で途絶える、田中角栄への接近と記述の変化ー親河野から親佐藤・田中と山崎と吉田周辺の記述が一変、「小説吉田学校」で描かれる吉田と田中の関係ー田中が吉田を支える、福田との差を強調ー岸学校の一員、なぜ「保守本流」と呼ばれなかったのか①ー福田の正統性ー安保体制派で官僚出身を重視したため、なぜ「保守本流」と呼ばなかったのか②ー宏池会との連携ー池田(宏池会)とやりとり、田中の「正統」イメージー「吉田学校」、戸川は田中の代弁者ではない、総理を生み出す夢に基づく行動、
3占領期に田中角栄はどこにいたのか、広川弘禅の実像ー幹事長就任、広川派形成、バカヤロー解散で広川派は雲散霧消、山崎首班事件時の動きー山崎首班工作で吉田首班に乗り換え、田中は吉田十三人衆の末席・「若い衆」としての田中、広川を反面教師とした田中ー佐藤の官房長官を断る、「先生はどう思っていたか知らないが」ー山崎首班に大きな役割を果たしていない、流布させたのが戸川猪佐武、田中は吉田学校のシッポと感じていた
まとめ
本書は山崎首班問題を取り上げ、占領期の最大の苦境を書いている、占領で活躍の場を得たものが政治の第一線にいる状況が続いていた、占領は日米関係の起点にほかならない、