皆さん中国の哲学はどんなものだと思います。本書は東京大学中島院長が中国哲学史について描いています
中国哲学史の起源
近代中国で影響力を持ったのが、馮友蘭「中国哲学史」、孔子を起源,
孔子
孔子は「軸の時代」代表、殷の人、核心は仁、礼の見直し、
正しさとは何か
政治は「正しさ」をもたらす、君主の正しさを目指すことが「一言で国を興す」ことになる。荀子は、言葉とその意味、指示対象の関係は恣意的で、社会的約束で慣習化で定まる、
孟子・荀子・荘子
孟子の性善は他者との関係・忍びざる心の拡充が必要。荀子は「性悪」治に向かって性を変化させること。荘子は「物化」そのものが作り上げた世界が、まったく別の世界に変容すること、麗姫の生涯について境遇に自己充足すること、
礼とは何か
孔子は仁と重ねて礼を洗練し直す、孟子は礼の実は仁義を整えること、他者に対し強い態度、荀子は天の領分から人の領分を切断、人の領分で礼を基礎づける、礼とは人の領分で作られる、飾ることが礼である、
老子・韓非子・淮南子
老子は水は王の権力象徴、王は国の垢を受け、不祥を受けているから権力を握っている、無欲や無為に至れば善を実現、素朴なユートピア。韓非子は王権を「弱」で「強」となることで統治や戦争の技術に落とし込んだ。「淮南子」は一見異なる二つの秩序が同じ原理に貫かれる、帝国の論理
董仲舒、王充
董仲舒は天と人の関係は、合して一である、天は災異を下して警告、聞き入れない場合滅ぼす。王戎は天と聖賢との間にも天人相関があるとした、
王弼、郭象
王弼は意は象によって尽くされ、象は言によって尽かされる、「得意忘言」により言語の忘却。郭象は仁義は人の性、万物が定められた分である自らの性に自足する世界
仏教との対決
神滅不滅論争で范縝は一元論、仏教徒は二元論、仏教徒が「成仏」で救済を構想したのに対し、范縝は強力な君主のもとで現生の安定
詩経から文進雕龍へ
詩経と楚辞を同時斟酌し、楚辞が過剰「艶麗」とならぬこと、ポイントは名声を上げ世間の関心を惹こうとすることが問題、
韓愈
韓愈は仏骨批判、儒の道を仏老の道に優越するものとして定義、道は歴史に支えられた古文のみ現前するもの、すなわち、伝統であり統一である
朱熹と朱子学
朱熹は、人の性は善,悪には誠意をもって制圧、自己の内部を極めるには自己啓蒙、誠意は外のものに見出せる「格物補伝」、自己啓蒙が他者に届くには、君子の自己啓蒙の仕組みを新民に適用すること、
陽明学
それぞれの心において成立する実在は普遍的なもの、一体を支えるのが良知、君子のみならず小人も有している、現実の悪に向き合い、是非判断の上で見解交換の場を公論に求めた(公共空間)
キリスト教との対決
マテオ・リッチは魂の序列は固定的、肉を食らう限り殺生を戒める道理などない、輪廻批判、仏教徒の反論は、肉を食らうからと言って,殺生は許されない、忍びざる徳がない、小人は殺してもよいのか、
西洋は中国をどう見たのか
ライプニッツは神に基づかない自然神学を中国に見ようとした、理を創造的力、万物に対し能力を植え付けた。スピノザは神の完全性を擁護、善とは人間本生の典型に近づく手段。18世紀になり、中国哲学は、中国贔屓のクリスチャン・ヴォルフは孔子はキリストに比肩できる人物だと主張。碑文・文芸アカデミーの二コラ・フレルにとって、中国は神なしで世界の秩序を維持しうる場所。ジャン=ピエール・アベル=レミュザは老子をギリシャ・ローマ哲学との比較で論じる。普遍史として世界史の登場し、ドニ・ディドロは、東洋の精神は新しさに欠ける、ヘーゲルは論語を通俗道徳とした,
戴震
清の考証学の戴震「孟子字義疏證」性善である人間は、自然から脱して必然を明らかにする、その中心「権(判断力」を通じて実現しようとしたのが礼、
西洋近代との対決
厳復はダーウインに刺激を受け「天演論」出版、進化を天演、北京大学初代校長。その後蔡元培校長のもと近代中国の才能集結。康有為の大同思想、梁啓超の新民説、譚嗣同の仁学、
胡適と近代中国哲学の成立
胡適の整理とは、前後の因果を見出し、真の意味や価値を見出すことに重点,故に発生的方法を用いて構想した中国哲学史は目的論的な因果関係の系譜に傾く。胡適は、キリスト教を近代ヨーロッパを支える重要な要素、儒教を中国の新宗教と読み直す、
現代新儒家の挑戦
新儒家は、自らの内において、成聖を目指す宗教的実践。梁漱溟「東西文化およびその哲学」儒家的伝統擁護、熊十力「新唯物論」現象が認識と同体不離に、万物一体の思想を補う、牟宗三は内聖に対し儒教的修養で維持しながら、仏教を補うことで近代的な個人を構成、外王は、新外王として民主主義に置き換える、自己否定を通じて減少と接続する、
西洋は中国をどう見たか
マックスウエーバーは、合理的と世俗化の観点から、宗教倫理の対立は架橋できないと結論。探検家たちは、敦煌文書を持ち帰った。ハーバード・イェンチン研究所は、ハーバード大と燕京大の連携で設立。アンリ・マスペロは老荘はかなり特殊な文人サークル出会って,道教において神秘主義的・哲学的な洗練を行った、神秘主義とは「宗教的経験」。マルセル・グラネ「中国古代の祭礼と歌謡」意図は「詩経」をを恋愛歌として読む。フランソワ・ジュリアンは中国を他者として理解、アンヌ・チャンは哲学ではなく思想として捉える、
普遍論争
普遍論争の中心、趙汀陽は言説の権利の回復、方法としての中国、水の方法論、を挙げる。許紀霖の新天下主義は,各々の国民国家が「共に享受する普遍性」を目指す。白永瑞は核心現場(中華帝国・日本帝国・米帝国)から東アジアの共生が実現できると考える。干春松はもう一度王道に回帰、アジアに回帰、世界平和にの新しい出発を実現、
まとめ
始まりは孔子の仁、正名を通じての関与、孟子の性善説、荀子の性悪説、荘子の物化、礼と法の区別は何か、水の老子、老子の実用的な利用・韓非子,帝国の論理・淮南子。董仲舒の天人合一、王充の聖賢、王弼の無の形而上学、郭象の自然の肯定。仏教との対決で神滅不滅論争、詩経から文進雕龍、韓愈は道統論。朱熹と朱熹学では自己啓蒙と格物致知、陽明学は良知。
キリスト教との対決では「殺生を戒める道理」、西洋は中国をどう見たかでは、ライプニッツとスピノザは「自然神学」、戴震の考証学。西洋近代との対決では、厳復と進化論、胡適のプラグマティズムで近代中国哲学の成立。現代新儒家の挑戦では、梁漱溟は中国文化宣揚、熊十力は万物一体、牟宗三は新外王に民主主義。西洋は中国をどう見たのかでは、マックスウエーバー、探検家、ハーバード燕京研究所を紹介。普遍論争では、水、新天下主義、新しい王道、