皆さん小林秀雄てどんな人だと思います。本書は浜崎文芸評論家が小林秀雄について描いたものです
批評とはどんな営みか
近代日本が抱えた問題ー河上徹太郎「日本のアウトサイダー」でキリスト教、天皇で型を失い、為すすべを失った、山形有朋の死は実力者不在、森鴎外の死も明治文学の後退を印象付ける、大正期は個人主義、第一次大戦後、昭和維新、マルクス主義、関東大震災は「伝統的なもの」を空洞化、芥川龍之介の死は、伝統の喪失と浮遊する精神。小林秀雄登場、士道と西洋的教養を接ぎ木すること、近代批評の祖、小林秀雄の半生ー東京生まれ、東大入学、父の死で窮乏生活、志賀直哉に憧れ、長谷川泰子と同棲生活、同棲解消後・応募論文「様々なる意匠」、批評とは、他者と出会い、それを直観することから、自らの宿命を自覚、カップリングのあり方を拾い上げる営みと定義
自己を支えるもの
「故郷を失う」とはどういうことかー小林は文芸春秋で「文芸時評」の連載を始める、1回から5回「アシルと亀の子」で「アシルは理論、亀の子は現実」と記している、同時に批評家失格で「疲労」、核心にあるのが手応えある作品との出会いと批評する土台がなかったと。「故郷喪失」不安から、朝日新聞「文学の伝統性と近代」で伝統性と近代性の接続に飛躍。ドストエフスキー論ー「文学界の混乱」に「糞度胸」によって身を横たえ「批評は何故困難であるか」、なぜ「土台」がないのか、手掛かりとしたのがドストエフスキー。新感覚は一過性の流行で終わり、プロレタリア文学も特高により「転向」、そして「日本回帰」を唱える「日本浪漫派」登場。ドストエフスキーの見出したのが「ナロード・民衆」、「ナロードの深淵」から「ロシアのキリスト」を信じた、小林の最後の論考は「白痴」、戦争と伝統ー日中戦争泥沼化、「歴史について」発表、「史料は人を作り、人は史料を作る」、朝日新聞「伝統について」で習慣はわざわざ見つけ出して、信ずるという様な必要は少しもないが、伝統は、見つけ出して信じて初めて現れるもの、見えてくるのは「伝統・生活様式」と「自由」との関係、講演録「文学と自分」自然や歴史を心を虚しくして受容する覚悟と語っています、昭和16年朝日新聞「歩け・歩け」で文化や芸術を国民運動に結び付ける指導層へのやりきれなさを感じています
直観を信じること
敗戦と私の人生観-二つの雑誌刊行「新日本文学」、中野重治、宮本百合子、蔵原惟人と「近代文学」荒正人、平野謙、本多秋五、小田切秀雄、佐々木基一、埴谷雄高、「コメディ・リテール」座談会で「反省なぞできない」、そして新大阪新聞講演会「私の人生観」①宗教論②芸術論③日本人論④人生論で、「真如」つまり自然のあるがままの姿を感受し、一体化・美を求める心は今日でも貫通している、自己を押し出すのではなく、他者に照らされ、直観を拾い上げることが宗教観・芸術観。審美観は宮本武蔵の「観の目」心眼で人生と歴史を見ることにあります。美を求める心ーベルグソンは「芸術」とは内的記録を喚起する触媒、小林は無限の知覚の中にとどまって、どこまでも拡げていくこと人間を「優れた芸術家」と呼びます。昭和23年「ゴッホの手紙」連載後ヨーロッパへ出発、西洋絵画を見て帰国「近代絵画」連載、セザンヌでは、彼にできることは「自然」との出会いをまつだけ、ゴッホでは、彼の狂気は、むしろ逆に、ゴッホ自身の理性的判断力を刺激し、その両者の緊張に満ちた闘争的関係を加速させたと言います。信じることと知ることー小林が最後に向かったのが「本居宣長」の連載、「古道論」では、「古事記」研究、日本人の生き方に対する宣長の直観、「もののあわれ」では、ものという動かしがたい事実・運命に触れ「あわれ」と感じる心の動き・人間感情の最も深いところから湧き出る声を聞くこと。形へ仕上げるが「言葉」、宣長の歌論に注目、あえて長く引き伸ばし、整えることで「歌」になる、根底を支えているのが「国語」、昭和50年「日本への回帰」発表、柳田国男「山の人生」で、日本人の始原に還っていけるような柳田の心を看て取って欲しい
まとめ
批評とはどんな営みか、いかに「意匠」から自己を守るか、支えるもの、敗戦と人生観、文芸評論の仕事の重要性がよくわかります。