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加藤九祚 天の蛇 ニコライ・ネフスキーの生涯を読む 

皆さんは、ネフスキーがどんな悲劇的な結末を持ったか、ご存じですか。

私も、「国家反逆罪」という無実の罪で破滅させられた生涯に関心を持ちました。

①ロシヤ生まれ。ボルガ川の様々な船の行き来を眺めていくうち、東洋に関心が芽生え、工芸学校退学、ペテルブルグ大東洋語学部に入学。ここで、志那学者・民俗学者・日本語教師に習い、日本に留学。

②この時、ロシア革命を聞き、留学生コンラドに会い、生涯の友となりました。中山太郎を紹介され、日本人学者と交流、日本滞在を決心します。

③小樽で、ロシア語教師、おしら様研究から東北旅行。萬谷イソと出会い結婚。

④その後、大阪でロシア語教師。西夏研究に関心が変わります。沖縄も研究しています。西夏語の研究に虜になり、単独帰国。イソもロシア移住。8年間のレニングラードでの研究は、超人的でした。

⑥スターリンの「粛清」は、ネフスキー夫妻に及び、逮捕、そして亡くなりました。死後、名誉は回復されました。

まとめ

彼は、ボルガ川を行き来する船舶から東洋に関心。ペテルブルグ大東洋語学部入学、日本留学。ロシア革命を知ります。小樽でロシア語教師、イソと結婚、東北旅行。その後、大阪でロシア語教師、関心が「西夏語」に変わり帰国。レニングラードの8年間の研究は、超人的でした。スターリンの「粛清」は、ネフスキー夫妻に及び逮捕、その後、死亡。死後、名誉は回復されました。