本書では、これまで傾斜地に建物を建てるための単なる特殊な構造形式と捉えられ、体系的に研究されなかった懸け造りという形式を、単に歴史的に捉えなおすのみでなく、造形の面から再考してみたい、その前提となる垂直的な表現の根本になると考えられる「柱」についてもみることにしました、
遥拝すること・立てること
1)神の坐すところと祭祀の場所ー恐ろしき山・霊妙なる山、祭祀の場所は山宮・里宮・田宮、巨岩の祭祀場と列石の祭祀場、柱を立てる場所は山の正面と思う、「心御柱」立つ神社は伊勢神宮と出雲大社、正殿がなく拝殿だけの神社は大神神社や諏訪大社、常設の建造物は造られず拝殿だけ造られる諏訪大社、
2)柱を立てることの意味ー文献にみる柱の捉え方を見る、文献は「古事記」「日本書紀」「万葉集」「風土記」、「柱」の性格を記録的記述と説話的記述に分類、「宮柱」は天皇即位の場面に使われていることから重要な位置を占める、「宮柱」と「ヒギ・チギ」は対句の形で天皇が鎮座する様子、「柱」を通じて神の降臨また諸霊の鎮魂が古代人の感情
山の浄所に籠る浄行僧
1)奈良時代の山林修行ー仏教伝来と山林修行で「懸造」建造物、山林修行の流行、山林修行僧のたちの役割は皇族の病気平癒、浄行僧たちの集まる寺が法華堂
2)懸造りという建築形式の始まりー石山寺の法堂と法華堂北の二月堂(観音が岩上に祀られた建物)、室生寺の礼堂、東大寺二月堂に見る過酷な修行、平安時代一般修行者の建物は熊野の本宮・新宮・那智の霊場にある庵室、
「懸造」という名称の由来
地形と風景の聖性ー懸造の舞台を伴う清水寺と長谷寺、現存する懸造のもっとも古い遺構は三朝の投入堂、「かけつく」動詞は、法花房の仙命上人を訪れた覚尊上人が谷底に落ちた話と明恵上人の花宮殿に出てくる、平安末から鎌倉期「かけつくり」は動詞から名詞化、材料と費用で比叡山中堂再建と上醍醐の清滝宮拝殿再興造営、文学の分野で義経記・中華若木詩妙・高山寺明恵上人行状、「かけつくり」建物は参籠・籠居から特異な建物すべて「懸けつくり」と呼ぶ、
岩座と湧水信仰の建築
1)内陣に信仰の岩を包む懸造ー平安時代の観音霊場の隆盛、霊験の顕れ・岩座と湧水・参篭用の空間、験者・聖と懸造で叡山横川中堂と上醍醐の如意輪堂、竹生島の宝厳寺観音堂と信貴山本堂は聖の住所
2)観音信仰を考えるー修験の空間に重なる観音信仰(一心称名、経典は「華厳宗」「不空羂索呪経」)
3)岩窟、巨岩の上面・側面に懸ける建物ー蔵王権現と湧水信仰の形・投入堂・鰐淵寺・龍岩寺奥院礼堂、参籠修行のための建物・神護寺の巌堂・菅生寺仙人堂、日吉八王子神社と三宮神社は懸造になり、貴族の参詣・参籠が盛んになる、修験道場としての三品寺・松苧神社
4)四方の霊験所での修行ー断崖からの捨身行、各地霊験所の信仰圏は、伊豆の走井・信濃の戸隠・駿河の戸隠・駿河の富士の山・伯耆の大山・丹後の正相・土佐の室生戸・讃岐の志度、「聖の住所」は聖たちが修行のための霊験所、修験者たちの苦行
5)鎌倉・室町時代の懸造ー岩窟に造られる懸は鳥取の不動院岩屋堂・大分の鷹栖観音堂・青森の見入山観音堂、巨岩の上部・巨岩側面の岩窟に造られる懸造は千葉の笠森寺観音堂・広島の盤台寺観音堂・福島の円蔵寺虚空蔵堂・滋賀の不動寺本堂・長野の小菅神社奥院本殿、内部に突出する建築は京都の笠置寺、修験道の教団化
仏堂と社殿の重層空間
1)岩の霊験を求めてー懸造・廻廊の出現ー拝殿として,法会の拡張として笠置寺礼堂・奈良の談山神社拝殿、寺地内に建つ鎮守社ー湧水がある立地は都久夫須麻神社拝殿・上醍醐の鎮守社青龍宮の拝殿・兵庫の円教寺護法堂拝殿・京都の由岐神社拝殿・滋賀の石山寺蓮如堂本殿と拝殿の関係は兵庫の一条寺本堂と背後の護法堂
2)重なっていく礼拝空間ー延暦寺の鎮守としての日吉大社、熊野・大峰の懸造は那智大社と新宮速玉大社
祀り拝む場のしつらえ
1)懸造建築への入り方ー岩や岩窟に行き場を求めた修験の行為と深く関わる・岩場の意匠は岩壁に応じ切り落とされ一体となるよう建物が造られる、梯子・階段・登廊は行場の険しさを象徴、
2)床下架構の垂直性ー古代の通し柱と貫が現れる鎌倉時代、貫の形式は一直線と一二間で高さ調整・上屋の接合
3)古代・中世懸造の意匠的特質ー観音霊場の架構と天台・真言系拝殿の架構、前者は正面5間以上で縦と横が同じ比率、後者は正面3間以下で柱が1.5倍で強い垂直性、行場の厳しい修行を象徴、平入の屋根から妻入りの屋根へ
近世懸造の姿はどう変わってか
1)山岳での懸造の形式変化ー修験修行の変化ー山伏から里修行へ、形式化の始まり―石垣積と縁通りの柱だけが懸造の建築・高山寺と知恩院勢至堂、絵画表現によるに現れる形式化「日光山志」「園城寺絵図」「円満院蔵の古図」、近世の懸造ー岩窟から離れた平入の懸造、大岩側面に岩から離して、崖上・湧水脇との関係の変容、岩に関係しない懸造と石垣、
2)山岳から平地へー霊場・霊験寺院の市中・地方での模倣は鎌倉の山房と京都の石不動堂、寛永寺清水観音堂の「舞台造」という名称・清水寺を模倣する建物、庭園の懸造-根津権現社観音堂、山上の岩から「遷す」「移す」「写す」、
まとめ
聖なる山に登り、造られた建築を調べて40年になります、山の建築の多くが日々朽ち失われています、だからこそ懸造の研究だけは公にしなければと考えていました、遥拝すること・立てること、山の浄所に籠る浄行僧、「懸造」という名称の由来、岩座と湧水信仰の建築、仏堂と社殿の重層空間、祀り拝む場のしつらえ、近世懸造の姿はどう変わったか、まで述べています