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民家

瀬川修 南部曲がり家読本を読む

皆さん曲がり家てどんな家だと思います。本書は平泉中学校瀬川教諭が南部曲がり家について描いています。

曲がり家の由来は南部藩の民家、L字型、馬、曲がっている理由①馬を主屋の中に飼う形式を内馬屋、土間に囲炉裏が作られて「居ながらにして」馬が見れる。理由②Lに曲がった部分が壁となり、北風を遮る、欠点は屋根の水はけが悪くなる。馬屋が右の場合、主屋の左が座敷となる、馬屋が左の場合、主屋の右が座敷、みちのく民俗村に2棟、旧星川家住宅は右に馬屋、旧北川家住宅は左に馬屋が見られる。日本民家園に現存する曲がり家で最も古い旧工藤家住宅がある、棟札は発見できなかったが墨書が見つかり「宝暦9年」の銘。年代の決め方に、丸釘が使われているか、間取りは単純か複雑かがある、工藤家住宅は古いが部屋数が多い、7つの部屋で畳の部屋は1つ、畳は貸し借りをしていた

花巻市の旧伊藤家住宅は復元時曲がり家から直家に変更(復元とは建築当初の姿)、馬屋は切り離され物置、馬屋は主屋の土間に再現。花巻市の小原家住宅は増改築されたが、曲がり家が住宅の特徴が表れており、中古復元された、馬屋は後から取り付けられ小さい。馬屋に絵馬がある、お守りの役目、馬の神様「蒼前さま」。絵馬は蒼前さまの縁日で絵馬師から求めた。6月第2土曜日はチャグチャグ馬っこの日、目的は馬を休養させると同時に、馬の神様にお参りする、6月15日はウマッコツナギ、2頭のわら馬を作り、田の水口や井戸端に立て1頭は神様が乗り、もう1頭は神様の食糧を載せた、

曲がり家に似た民家に中門造りがある、中門とは住宅の入口で、曲がった先の方が入口、秋田県立博物館の旧奈良家住宅は、右に馬屋、左に座敷、秋田の鈴木家住宅も左に中門突出、曲がり家と同じ姿、秋田県の草薙家住宅は曲がり部は主屋に対して独立、旧伊藤家住宅は通り土間がない、外観から区別つきにくいが、棟は雨を流す役目があり置き千木で押さえてある。北上市の旧及川家住宅は、曲がっている部分は座敷である、入口は妻側にあり、土間がある、馬屋もその一部、奥に座敷。茨城県の旧飛田家住宅、左に馬屋を持つ。茨城県の旧小松家住宅は右に馬屋、特徴は主屋と土間の境目に雨桶あり分棟型、

東京都の一之江名主屋敷は式台がある、曲げたのは台所など隠すため。花巻市の同心屋敷は曲がり部が座敷、奥州市の旧内田家住宅は台所・土間が曲がり。現在、遠野市の千葉家住宅は映画のロケ、紫波町の武田家住宅は在住。最古の民家、後藤家住宅は笹塔婆元禄8年の銘、中に入ると土間に10本の独立柱が古さを語る。みちのく民俗村の旧菅野家住宅はお手伝い帳が残り、享保13年とわかる、薬医門は享保5年。岩手県の朴舘住宅は広い、38畳で屋根は小屋組み。岩手県立博物館の旧藤野家住宅は、片入母屋の屋根、理由は煙出し、

養蚕の家では、明治期に温暖育、小さな炉を切り、中2階を上げて蚕室確保、換気も必要で煙出しを造る。大黒柱は土間と座敷の境にある真中の柱を指すことが多いが、岩手県ではあまり聞かない、その代わりに土間に太い独立柱、牛持ち柱という。みちのく民俗村の旧菅原家住宅の長屋門は、左に馬屋、右に納屋がある、気仙沼大工の特徴はなんでもこなす、出稼ぎをすること、

まとめ

南部曲がり家のL字型の理由から、内馬屋と座敷、曲がり家へ改築、チャグチャグ馬っこの神社お参り、中門造とは何か、曲がり家との類似性、武家屋敷の曲がり家へと展開、かっての人々と馬とお参りが一体であったことを再現した、