皆さんは親孝行してますか。本書は明星大学勝俣教授が「孝」はどんな役割があったかを描いたものです
孝はいかに日本へ持ち込まれたか
「孝経」が日本に入ったのが西暦600年、本来の孝は、立派な人になる、親に報いる。孝思想は奈良時代、孝行表彰の記録、仏教もこれに合わせています。鎌倉・室町では、表彰がなされず、説話だけとなり孝の定着を示します
孝の全盛期 江戸時代
教訓書が書かれ、巡検使の視察、褒美を授与、徳川綱吉による孝行奨励のさなか「本朝孝子伝」出版、地方では大阪に懐徳堂設立、小浜では望楠軒から儒学者招きました。
幕府の政策?庶民の娯楽
江戸時代、孝行の表彰は①善行推進②封建制度維持にあります。
落語「孝行糖」、「藤岡屋日記」、坂下宿の「万吉の話」で孝子の実例が記されています。
荒唐無稽な逸話の秘密
・落語「二十四季」うっかり者が良い話を聞き、真似て失敗・聞く孝行
・中江藤樹「翁問答」する孝行
・説話「古今著聞集」親のためここまでするかの話
孝子日本代表を探して
日本人が登場する「孝子伝」編纂、定番孝子は平重盛・楠正行・中江藤樹、大江佐国の子。新顔は講談と教科書に記述、天皇から神武天皇、神話から天照大神・事代主神・木花開耶姫
鴎外と太宰の視点
森鴎外の視点「護持院原の敵討ち」は、敵討ちを茶化し、デフォルテした戯作だが、理不尽さ・虚しさを描きました
太宰治の視点「新釈諸国話」は、相手に怪我をさせても気にとめない悪人・荒磯が、師匠鰐口に退治される因果応報の話で、より理解しやすい不幸話に書き換えました
軍国主義の下の子供たちへ
明治天皇が孝行者表彰、巡幸の先々で孝子に賞を与えましたが、緑綬褒章における親孝行褒章は、政治システムと結びつき公のものとなりました。皇室中心の忠孝教育は「教育勅語」、「少年世界」創刊、戦時中「少年倶楽部」では大東亜の義戦が記された
敗戦で孝は消えたのか
「教育勅語」もろとも孝道徳否定、「緑綬褒章」の衰退がありましたが、昭和50年代、親孝行運動が生まれ、経済発展の足を止めて、足下を見直す機運が高まりましたが、プライバシー問題から表彰廃止の地方も出ています。途絶えていた緑綬褒章は、対象者をボランティアに変え、内閣府は「家族の日」を設定しています
まとめ
日本の孝は内部のパーソナルな行為を、外部を巻き込み、多くの人を引きつけました。日本史上 これほど長く広く受け入れられた道徳は他に見出しがたいでしょう。中国が儒教、日本は孝です