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河口慧海

高山龍三 河口慧海を読む

皆さんは河口慧海はどんな人でと思います

本書は、慧海研究家・高山龍三が河口慧海の生涯について描いたものです

構成①若き時代②チベットの旅③再びチィベットの旅④研究・教育・求道⑤世界のカワグチ⑥慧海の遺したものからなります

①堺で生まれ、晩晴学院で漢学・精神生活を送るー友人肥下徳次郎正木直彦・島村清吉・河野学一哲学館入学、羅漢寺で得度・住職、黄檗宗批判、萬福寺にこもり、南条文雄から梵語習うことでチベット決意

②カルカッタからダージリンでscダースにチベット語習い、ネパール密入国、入国前ブッタバッザラにネパール語習う。カトマンズ、ボカラ、マルパ村からヒマラヤ超え、チャムチェン寺経てラサ到達、セラ寺の学堂に入学、怪しまれ、ラサ脱出

③帰国後、記者会見・時事新報と大阪毎日に連載後、再びチベットカルカッタでタゴールと会い、ネパールへ。パンチェンラマに会うため再びインド、カリンボンで亡命中のダライラマと会う、カルカッタからシッキム経由でチベット入国、ラサ到達

④帰国後、東洋大・チベット語講師、僧籍返上、亡命中のパンチェンラマに会うため北京へ、「在家仏教」「正真仏教」出版、念願の「蔵和辞典」編纂後死去。「西藏大蔵経に被疑」でダライラマから託された大蔵経の行方不明発覚

⑤慧海の名が報じられたのが「フランス極東学院報」、日本の新聞・情報の英訳があり、ニューヨークのシトビアから直接インタビュウを受けた。慧海の旅行記の英訳は、アニー・ペザントの協力で出来ました。

⑥遺したもの・まとめ

慧海は、梵文経典、チベット語大蔵経、蔵外文献等請来、いくつかを翻訳、研究、出版。論争を厭いませんでした。

チベット行は、黄檗宗批判が契機となったもので、求道・研究が目的であったと思います。