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リンゴ

マーㇱャ・ライス リンゴの文化誌を読む

皆さんリンゴ食べてますか、本書はマーㇱャ・ライスがリンゴの文化について執筆しています

野生より

ソローは、リンゴを人類の至高性を体現するもの、野性リンゴは形が良い、

バラはバラであり、バラであり、リンゴである

分類上バラ科、自家受粉出来ず、別の木と受粉、種は寒さが肝心、晩秋から初冬は栄養補給時期、保存は冷蔵庫、出荷に当たって厚手の梱包資材に収める、CA貯蔵開発で出荷調整でき、現在市場を席捲しているシャキシャキ「ハニークリプス」、次に「スウイ―タンゴ。リンゴの種は芯から離れた時が発芽チャンス、接ぎ木栽培は、農耕社会で、隣り合う植物間で接ぎ木栽培確立、木を小さくして収穫が楽。矮小のリンゴは燃え尽きるが種子からの木の寿命は300年、農薬によりクローンは救済されたが、90%が1割の品種、

甘さの果てに

甘い品種のセイヨウリンゴは、カザフスタン、ペルシャでは栽培され、古代ローマで接ぎ木技術完成。イングランドはリンゴ栽培、シトー修道会の自給自足リンゴ栽培はヨーロッパ中に普及、プロテスタントは勤勉さを何より引き付けた果実。17世紀から庭造り、装飾。移植者は新世界に持ち込み、オーストラリア・ニュージーランドでも産業が育つ、20世紀品種が減少、

リンゴ酒歳時記

アメリカでサイダーはリンゴ酒、百年戦争でリンゴ酒、富裕層の男性が味わうもの、ガラス瓶で出荷、産業革命で農園放棄、ビールやウイスキーに代わる。禁酒運動、健康のためサイダー製造会社は加熱処理、小規模業者はリアルサイダー、サイダーは伝統的な製法にこだわる製造所、フレッシュで風味豊かな食の復権。イギリスでリンゴ酒が世界をリード、パーシー・バルマー、昔ながらの手作りブランドと工場見学、

アメリカンアプル

アメリカの固有種となったリンゴ、貢献したミツバチ、西海岸に到達は1853年、種子から栽培と接ぎ木栽培とが混ぜこぜになった。西部への入植は土地、アップルシードは、リンゴ栽培で広大な土地を得、リンゴの苗木を育てる種苗園を開くが、暮らしは質素、アップルシードは荒地に果樹を植えるため先住民の部族の土地を改変し、その土地に依存していた人を立ち退かせた。リンゴと超越主義では、リンゴの政治経済「大きさや健全性、風味、光沢にかんしてアメリカのリンゴは一番で、群を抜いていることはヨーロッパでも認められ、さらに、リンゴはアメリカ的存在、果物の中でも、とりわけ真の民主的果物」。若草物語のオルコットとレインはフルーツランド立ち上げ、物質的世界から精神避難場所、ストイックな生活にリンゴを選ぶ、アバはコミュニティを出る決断、オルコット一家はマサチューセッツ州移住、「若草物語」で生計保障された。ジョン・D・ロックフェラーはリンゴとパンの信奉者、ヘンリー・ジェイムスは、ニューイングランドのリンゴの木の回顧録、オキーフの古いリンゴ果樹園が大豊作だが伝統的静物画から逸脱、ステイ―グリッツの写真16点はリンゴをアメリカ芸術と思想の象徴、ロバート・フロストも作家で栽培家アメリカ産とヨーロッパ産遺伝的多様性が大きい、これらの品種を基に新たな交配種を生む、中国栽培農家参入

リンゴ礼賛

ルカス・クラナーハのリンゴの木の下の聖母子。リンゴが育つ地域には地名を残す、カザフスタンのアルマトウはじめ、イギリスや北アメリカでは地名存在、アメリカの入植者はリンゴの果樹園を作って家を建てた。リンゴのデザートは大人気、トーマスジェファーソン・シャーロット王妃・ウラジミール・レーニンはリンゴが大好き。19世紀ヘンリー‣ウオード・ビーチャーズがアメリカが最高のリンゴ生産と主張すると、イギリスも自国産リンゴについて強気な主張、現在、イギリスのリンゴ生産者は、アメリカ品種が気候により栽培できないが、多くの果樹農家は量より質を大切にしている。多くのリンゴ生産者は、自分の名前を付けマッキントッシュ、ジョナサン、イギリスではコックス、オーストラリアはグラニー、絵画では、セザンヌのリンゴの籠のある静物、日本ではリンゴそのものが芸術作品、リンゴは実がなくても木そのものが美しい、「林檎の花ブーム」、片田舎の遠いノスタルジア、古木は歴史的記念碑・ニュートンの木、ブラムリー、リンゴへの感謝行事・ワセイリング、

リンゴの膳

聖書で恋の解毒剤、風俗画に母と子のリンゴを摘む,ウイリアムテル、王様のパイ、リンゴは健康食、ヴァ―ジニアは緑のリンゴ・環境、

リンゴの悪

エバのリンゴは悪いリンゴ、ギリシャ神話では、リンゴを落としたためライオンに変えられる。パリスの審判でリンゴがトロや戦争にリンゴこそタンタウロスが手を伸ばしても永遠に届かない果実。エバの暴飲暴食、セザンヌ・ゴーギャンもエデンの園を暗示、オルコット娘リンゴ食べた、接ぎ木でリンゴの木を栽培は神の怒りに怯えた、白雪姫の伝説は、農薬問題・重金属汚染。バッドカンパニーはタバコの保湿剤として利用されるグリセリン不足にリンゴの果汁を広告、実際にリンゴの評価を落としたのはケロッグ社、フルーツシリアルに不評(43%が砂糖)、

虚像

エデンの園はバナナ、古代ギリシャで見たのは未知の丸いもの、リンゴの木はナシ、リンゴと名がついた、トマト・南米のアップル・コンピュータのアップル、リンゴロゴ法廷闘争、

果樹園芸と政治

先住民が土地を追い出され、小規模農家に工業化、農民にリンゴ栽培を商品迫り、多くの農家が接ぎ木方式に変える。果樹園泥棒・国外追放で罰金と禁固60日、接ぎ木を買えない家族は種をまき、実生苗を植えたり、若芽を植えた、ひこばえは邪魔者扱い。リンゴを売って生計建てる、ルーズベルトのリンゴのポスターと頭がおかしいならデューに一票を、大統領選で、ハリソンは、丸太小屋とリンゴ酒、白雪姫で、トルーマンは毒リンゴを持つ魔女、アイゼンハワーは白雪姫の救出する王子、ロナルドレーガンは、アメリカ人人質と交換にイラクへ武器輸出、売り上げを反共ゲリラに流用、20世紀にリンゴは企業製品に変容、大量の生産が明瞭、海外から輸入で2割破産、北京政府がリンゴブームに火をつけ、再び日本と中国の果汁をヨーロッパへもたらした、殺虫剤は、アラールの恐怖、発がん性示す、市民が怖がっていた。ソビエトのリンゴは、遺伝的多様性の知見を握り潰す、ヴァヴィロフは、カザフスタンのリンゴが栽培品種の甘いリンゴの祖先、ルイセンコの社会主義思想に遺伝学は、壊滅的な食料不足と飢餓、かれは反逆罪、助手だったアイマク・ジャンガリエフが学術遠征と種子と接ぎ穂を収集した、草の根運動「フォールン・フルーツ」は家の近くに果樹を植えよう果実の盗み撮り復活させた、

リンゴの現在と未来

リンゴの需要は下落、栽培は巨大生産者と伝統品種を栽培する小規模果樹園、ほとんどの市場向け栽培農家は農薬、「訳ありリンゴ」と農薬の制限をもちいる。有機農法で、特定の害虫駆除、リンゴミバエが穴だらけにして食い荒らすが、おとりのリンゴに捕まって死ぬ、除草剤を蒔く、農薬を使わず、育種戦略はない。ミツバチとマルハナバチで24時間受粉、グッドバンドは家屋と果樹園復元、5000本の古木に接ぎ木を施す,「アンティーク・アップ」も息を吹き返す。北方のりんごは、気候変動で南方の品種に変える必要が出る、育種戦略は、無限の遺伝的可能性と、栄養価の高さと美味しさである、リンゴの両親の遺伝時解析次世代のリンゴの特性を予測すれば、見た目も味も良い品質を早く発見できる。ところが、遺伝子組み換えの抵抗で論争現代のリンゴはブランド化され、特許化され。商品登録、ミネソタ大学ではスイーンタンゴを管理,「コンソーシアム」設立、画一的な生産・販売戦略と遺伝子工学によって、リンゴは新鮮なフルーツではなくなる、加工された工業製品。リンゴには逆境に強い果物、人間は常に本物に触り、食べたがるもの、小規模農家は戦う、リンゴだけで顧客を引き寄せるのは難しい、催しの中心はリンゴだ、

まとめ

寒さが肝心、種子と接ぎ木栽培、大木から農薬の小さな木、甘いリンゴはカザフスタンからヨーロッパ、新大陸、リンゴ酒、アメリカンアプルとミツバチ、リンゴは祖国の果物、若草物語のストイック生活、リンゴ礼賛の絵画、人、敬意、リンゴは健康食、罪深いリンゴ、殺虫剤問題とシリアル43%砂糖、虚像がある、果樹園芸と政治、ひこばえ、選挙に利用、殺虫剤問題とソビエトの隠蔽、リンゴは商品化、しかし強い、バナナやオレンジ全滅の危険性ない、旨いものを食いたい、