皆さん膨らむ中国の志向は何だと思います、本書は東京大学川島教授が執筆しています
アフリカの保定村物語
ザンビアと中国は友好関係、資源略奪の批判回避で開発区を設ける、ザンビアに中国人経営の農場存在、全体把握は中華商会幹部、「王子」という称号をもらい、信用社会を形成、官民一体で人が動いたわけはない、
広州のアフリカ人街
広東にアフリカ人形成、小北路は、アフリカ人の最も大きなエリア「チョコレート城」、砿泉派出所事件はビザ更新問題で制限を加えるようになったからで、中国とナイジェリアの不法移民摘発の応酬は続いた。非州は政府のPR誌でオリエンタリズム、対外政策の積極化、北アフリカ高速道路での勝利感覚、メイドインチャイナの粗悪品・コピー問題は国内向け、対アフリカ援助は生計、環境保護、非州は中国公衆向けに制作、
マラウイと中国の国交正常化
2007年、マラウイは中華人民共和国と国交、理由は①南部アフリカの国際問題②中国経済へ期待③ムタリカ大統領選挙④台湾政権の支援姿勢。中国が応じたのは①台湾独立に歯止め②隣国ザンビアと友好。台湾と断交、台湾予定の国会議事堂とカロンガチィテイパ道路を引き継ぎ。しかし中国の支援は進行しないし、大統領の姿勢が浸透しているわけではない、中国商人との軋轢、密輸、現地労働者の賃金、選択は正しかったか、
マラウイと台湾の断交
台湾とマラウイに友誼が築かれ、中央病院、国会、道路建設、マラウイは中国と示し合わせて中国と国交樹立、台湾サミットの大統領は台湾に期待と既に断交を決めていた
中国・ASEAN南寧博覧会参観記
中国はASEANとの関係強化、南シナ海で二国間、ASEANとは多国間、メイン会場が南寧国際会展セミナー。ゲートを入ると屋外展示場、パビリオンは、先進技術、投資協力、魅力の都市・サービス貿易、「投資協力」のパブリオンは著名な国有企業、商談は対接会、「先端技術」は中国企業、「魅力の都市・サービス貿易」で諸都市センター。2階は、左右ブースが東南アジア、これらのブースは中国人のための小売店、第2、第3会場が「華南城」中小企業の出品、第3が広西展覧館、農産物、中国の政策は西部大開発、南寧は窓口とはいいがたい、
二十一世紀の援蒋ルート
中国軍はミャンマー北部に展開、雲南に攻め入った、この時の調査は保山から龍陵さらに瑞麗市、北上して謄衝に足を延ばした。胡錦涛政権期、ビルマ共産分裂で中緬間貿易、しかし中国との水力発電ダム開発では民主派とカチン独立党の反対にあい、地方反勢力を敵に回した、翡翠貿易は滞っているが商業ネットワークが形成されており再開、この地域は戦争遺跡で、本来の国境は清代以前という、
東チモールから見る中国
東チモールのディリ滞在を豊かにした有力華人、大統領府は中国援助、東チモール近海は安全保障面を加えても採算はとれない、中国海軍は2隻の艦艇を東チモールに売却、軍事バランスの議論が必要である、マカオ返還以来、ネットワーク強化協力の名で投資や援助がある、老華僑は現地社会と調整しているが、新華僑は問題を起こす、東チモールは相手を見ながら外交を行っている、
金門島の経験した近代
僑卿は海外移民の輩出地、洋風建築には華僑送金で作られたもので外敵から身を護る装置が施されている、「僑卿としての近代」が沿岸部に展開、国共内戦期①治安②ペスト③徴兵制、アメリカは、大陸反攻支援ではなく、台湾海峡防衛前線と考え10万の駐留、総動員体制、ペスト撲滅に鼠捕獲運動で解決、対岸廈門にコミュニティができた、
金門アイデンティティを求めて
1980年代、戒厳令解除、民主化へ転換、金門は観光に活路・金門から廈門へ航路、中華民国100年記念「福建省金馬の歴史・回顧と展望」会議で、金門は台湾史と異なるフロンティア、自己認識育む、
まとめ
アフリカに出現した中国農民の村、広州の公共外交「非州」の存在、マラウイに見る中国と台湾、断交後も続く台湾との関係、南寧博覧会はゲーム、援蔣ルートからダムを巡って住民・カチン族が反対、東チモールは軍事的配慮から中国海軍艦艇2隻売却、南シナ海は軍事支配目的、新華僑と老華僑、金門島は国共戦争、戒厳令が解かれたが、台湾と金門島は別々に歩み、金門島の独自性・フロンティア