皆さん歴史的建造物て何だと思います、本書は東京芸大光井教授が執筆しています
歴史の発見
法隆寺は世界最古の木造建築、古い建造物で意図的に維持、茶室における古さは美意識「燕庵」、細川幽斎が智仁親王に古今伝授を行った水前寺成趣園に残る「古今伝授の間」、神戸の箱木家住宅は農家建築「千年家」。「都名所図会」では、京都「嵐山」鳥瞰図と嵐山・法輪寺・渡月橋と和歌。「平等院」鳥瞰図と来歴と仏像。工匠家の纏めた「建仁寺派家伝書」で上代から禅宗建築へ変化の歴史観高橋宗直「大内裏図考証」で復元図作成。深谷平太夫治直「社類建地割」で建築物の原初形を推定、歴史的な存在配慮と過去の回帰の現象、
古社寺の保存
江戸時代後期廃仏毀釈、明治維新で神仏分離令、国家介入で神社は「社格制度」制定。日吉大社は神職が本殿に入り、安置された仏像を排除、興福寺は僧侶を神職に転換、境内一変した鶴岡八幡宮・浅草寺・寛永寺、全国の社寺は明細書作成提出となった。明治政府は官国幣社のみ支援、その他の支援は内務省の「社寺保存内規」で選出助成。「古器旧物保存方」発令で博物館展示を念頭、本格的な西洋建築と技術者養成のため工部大学校設立で、コンドルは様式主義を基本。辰野の日本建築講義で受講生の伊藤は法隆寺建築論、日本回帰「古社寺保存会」設置、等級別特別保護建造物が指定された
修理と復元
木造建造物の修理は「補修」「部分修理」「根本修理」、古社寺保存法の主体は府県、実際の修理指揮は建築家「復元」。関野貞は、重要なのは「意匠」で担当したのは新薬師寺・法起寺・唐招提寺など多数、新薬師寺本堂の場合、建設当時の意匠復元、水谷の批判と辻の反駁。松室重光は、浄瑠璃寺復元に合理的根拠を求め、不十分の場合復元断念。加護谷祐太郎は、構造的欠陥の東大寺大仏殿に、外観や室内から見えない構造体を西洋式のトラスに換え柱内部に鉄骨挿入。武田五一は、平等院鳳凰堂に構造技術を保持、古材を再利用、大江新太郎は、日光東照宮を建築当初と同じ技法・材料で完全復元、遠藤は古びがないと批判。「国宝保存法」制定、法隆寺の場合、東大門は武田五一、黒板勝美の反発で伝法堂は古宇田實から大岡實と浅野清へ、徹底調査により当初復元。金堂と五重塔は、国宝保存会から差戻、慶長期に復元。「文化財保護法」制定、国宝級の建造物は重要文化財に移行、復元時期の判断では、當麻寺本堂は室町時代、中山法華経寺本堂は鎌倉時代に復元、
保存と再現
「廃城令」で存続とされた城郭は陸軍省所管、破棄は200以上。姫路城は陸軍の中村重遠の進言で保存、彦根城は明治天皇の命令、松江城・松本城・犬山城は旧藩民や市民の尽力で保存、公園に転用した高知城・弘前城・津山城など、長岡安平や本田清六の改造案は構造物の改装は最小限・城郭の構造維持、広場を創出している。「史跡名勝天然記念物保存法」制定、城郭は建築学による保証を経て国家に認知、国宝への指定は天守19棟、都市のイメージアップで新築の洲本城と大阪城の天守閣、戦災で焼失した天守閣再現は、和歌山城と広島城、波紋は鶴ヶ城と小田原城と豊田城。文化庁は「史跡等保存整備事業」開始、実現した首里城正殿の再現、波及した掛川城。出島は西に19世紀のオランダ商館、中央に江戸時代、東に明治の空間を保全。熊本城は細川刑部邸の城内移築、本丸御殿が伝統的木造構法で再現、
保存と活用
民家に文化的価値を見出したのは柳田国男、民家調査は今和次郎「民家採集」。建築界でもヨーロッパ各地で、地域固有の建築評価。これを受け吉田五十八は新築設計、黒田鵬心編纂「東京百建築」、ついで堀越三郎「明治初期の洋風建築」学術的研究。関東大震災後は、日本橋とニコライ堂の修理。文化財保護委員会は「民家のみかた調べ方」刊行、民家緊急調査、民家評価の観点は①民俗学との関係性②歴史学・建築学の史料③意匠・構造・空間④遺構を発生要因を踏まえ評価⑤複数の建築物や田畑を一体として捉える、徳島の福永家住宅の屋敷構え全体評価。民家は、所有者が建て替え希望、それを移築して復元が進行、受け入れ先は、日本民家園、合唱造り民家園、房総の村、おかげ横丁。文化財の近代建築は「博物館明治村」谷口吉郎企画、「近代日本建築学発達史」刊行、東京駅舎復元、ファサード保存は外観のみ保存、中京郵便局、東京銀行協会ビルディング、特例容積率適用地区では、明治生命館、三菱一号館、旧近衛師団司令部は、耐震不安から内部全面鉄筋コンクリート
点から面へ
古都奈良は「奈良文化財研究所」発足、「平城宮跡保存整備基本構想」に基づき、本格的な再建建造物は、東院と朱雀門、「国営平城宮跡公園基本計画」に従って中核・大極殿再現。京都は「風致地区」と「歴史的風土保存区域」設定。鎌倉は、住宅開発計画を批判、市民運動を母体に「鎌倉風致保存会」に継承。周辺は歯止めかかり、課題は京都市街地、①巨大工作物規制区域②美観地区③特別保存修景地区で景観の視点で達成。倉敷の町並みは倉敷民芸館と倉敷アイビースクエアーで地区内の保存に力点。高山は生活環境悪化に対する住民運動、環境保全から町並み保存に転換。妻籠は馬籠に対抗、中山道の詩的情緒・文化財との共存・外部資本の拒絶、林家住宅を郷土館に転用、相次ぐ洪水に対し「明治百年事業」で町並み一括修理、観光客60万人超す。文化庁の伊藤延男は「伝統的建造物群」住民と市町村の強い主体性で行われるもので、祇園新橋地区、神戸の北野町の規制は弱い、弘前市の仲町は住環境保全。1980年からコミュニティ単位に保存地区、東御市海野宿は3/4だけ伝統的、大田市大森銀山地区は新たに保全地区追加、丹波篠山は一括保全地区、函館市は、新築をコントロールし都市景観整備、伝統的建造物保存、一部地域を町並み保存と修景。金沢は「金沢市伝統環境保存条例」制定、都市全域を対象とした景観保全実施、
まとめ
法隆寺は残った、古さで評価した城郭と茶室、人物や家系で評価、名所図で平等院評価、工匠家や国学者の評価あり、歴史的建造物保存は社寺、廃仏毀釈で「社格制度」、混乱経て「社寺保存内規」制定と「古器旧物保存方」発令、コンドルのもたらした西洋建築は様式主義の建築学、東京駅や築地本願寺、伊藤忠太「法隆寺建築論」で歴史的建造物評価保存、「古社寺保存法」制定、特別保護建造物選出、木造建築物の復元は、創建時に復元、根拠不明で復元断念、見えない部分を西洋新技術を用いる、修理損傷を最小限度に留め、古材を活用で日光東照宮は完全保存、国宝保存法に移行、法隆寺東大門は8世紀の姿、伝法堂は創建復元、金堂と五重塔は16世紀の姿城郭建造物は廃城令、萩と大洲、国家と市民による保存は姫路・彦根・松江・松城、公園とした高知・合津若松、史跡としたのは7か所、現存天守に国宝指定、新設天守は洲本と大阪、天守復興は和歌山と広島で波紋は鶴ヶ城と豊田城、史跡整備で再現は首里城で波及は掛川城、出島はオランダ商館・幕末・明治にエリア分け、熊本城は再現の到達点、民家採集は今和次郎、西洋建築の影響から日本橋・ニコライ堂・鹿鳴館、文化財としての民家調査、民家復元は建て替え、そのまま移築がほとんど、民家園出現、文化財としての近代建築明治村、市民運動で東京駅舎、ファサード保存で中京と東京郵便局、容積緩和で明治生命館と三菱一号館、構造補強した旧近衛師団司令部庁舎、古都奈良の再現、近代都市京都の風致と波及鎌倉、大原家による倉敷、市民運動から高山、観光に対処した妻籠、都市全体の保全に動いた海野宿・大森銀山・函館、さまざまな手法を組み合わせた金沢、ようやく歴史的建造物が認知されてきた