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大竹道茂 江戸東京野菜 特別編を読む

江戸の野菜て何、どうやって作られたのか

私も、江戸の野菜が地産地消と言われる様になったのか、よくわかりませんでした。

江戸東京伝統野菜研究会の大竹氏は、江戸の人口が増え生鮮野菜が不足し、幕府は御前菜畑を設け、大名は下屋敷に畑を作ったことから、全国のタネが江戸に集まり、近郊農業は鮮度を重視する野菜の産地として栄えるに至ったと結論。

なかでも、江東区の砂町は「促成栽培」「旬の野菜」の一大産地として発展したが、目に余る高騰で、幕府は早出し禁止令を度々だしている。

固定種である伝統野菜のタネは、農家が自分の畑で採種してきたが、タネをまいて、タネを採りなおす作業が必要な上、受粉時に、ほかの花粉がつかない様にしなければなりません。現在、市販されているのは「交配種」がほとんどだが、保存・育成事業により、復活させています。

まとめ

①江戸の野菜は幕府・大名の家庭菜園から始まりました

②都市近郊農業で経営安定

③固定種である伝統野菜を復活させることにより、食文化をゆたかにしました。