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商業美術家

大越久子 小村雪岱を読む、

皆さん小村雪岱てどんな人だと思います。本書は埼玉近代美術館大越学芸員が小村雪岱について描いたものです。

鏡花本の世界

鏡花「日本橋」装丁者に雪岱抜擢、日本橋界隈のたたずまいは雪岱にとってとりわけ親しいもので、この初仕事が装丁家として一躍注目される、花街から下町の風情を愛し、幼くして分かれた母へ追慕に共通点あり、親交を重ねた、鏑木清方、水上龍太郎、久保田万太郎らの親睦会や九九九会の交流を通じ装丁依頼が増えた、

「日本橋」雪岱の出世作、「鏡花選集」春陽堂初めて雪岱を起用した鏡花本、袖珍本と呼ばれる、「遊里集」物語は赤と青のつがいの蝶が乱れ飛ぶ函に始まる、「鏡花双紙」革装本・空押しであしらった源氏香「紅葉賀」は、家紋に用いた図柄「星の歌舞伎」函に女性を象徴する紫陽花、表紙は両国の夜景、「愛染集」函は吉原の遠景、表紙は紅梅屋敷の夏風景、「由縁文庫」表紙は芒・女郎花・萩の秋草、見返しは菫を配した、「弥生帖」表紙は座敷に蝶が舞い込んだ、「粧蝶集」翡翠色地に黒蝶舞う、見返しも同じ、「紅梅集」表紙は矢列に艶めいた箸をあしらう、見返しは青い獅子頭、「鴛鴦帖」表は大川端の采女橋のたもと、裏は毘沙門堂のお新、「愛艸集」表は十二単の優雅な女性、裏は清元の師匠雪江が三味線堀を歩く、「友染集」表紙は梅と柳、見返しは春と秋の風情、「芍薬の歌」表紙は桐、見返しは深川の風景、

「雨談集」表紙は戯れる、見返しは芝の海や川端、「銀燭集」表紙は貝合わせ、「辰巳巷談」表紙は深川洲崎、「櫛笥集」金沢の町、「蜻蛉集」表紙は緑色の無地、見返しは梅と松を添えた童子の舞楽図、「龍蜂集」表紙は花園に遊ぶ鳥、見返しは渓流、「新柳集」表見返しは「唄立山心中一曲」、「愛府」月世界に遊ぶ兎、「斧琴菊」は「良き事を聞く」の判じ物、「薄紅梅」鏡花最後の作品、表紙の薄緑色と見返しの青色が美しい、

ふたりの女 おせんとお傳

「おせん」は昭和8年9月30日から12月13日まで朝日新聞に連載された邦枝完二と雪岱がコンビを組んだ小説、笠森お仙は実在人物、あらすじ、江戸明和期、谷中笹森稲荷境内の茶屋かぎ屋の看板娘おせんは美人、ぞっこんの人物次々登場、実はおせんが思い続けているのは瀬川菊之丞、おせんのもとに、菊之丞倒れたとの知らせ、見舞いに駆け付けたが菊之丞は息を引き取る、

「お傳地獄」は昭和9年9月21日から翌年5月11日まで読売新聞に連載された邦枝完二と雪岱がコンビを組んだ小説、高橋傳の生涯を脚色した、あらすじ、明治6年、高橋傳は美人、重病の夫を治したい一心で東京へ、心ならずつきまとわれ、次々に殺める羽目に、移り住んだ横浜でスリの平岡市十郎と逢瀬、夫を死に至らしむ、上州に落ち延びたが安住の地でなく、東京へ逃げた、

挿絵画家、雪岱の名を世に知らしめたのは邦枝完二、新聞連載で初めてコンビを組んだのが昭和7年の「江戸役者」、完二が「双竹亭随筆」で挿絵に引き摺られて作品の調子が乗っていく感じがしたと言っている、「おせん」「お傳地獄」「喧嘩鳶」と続く、昭和11年「邦枝完二代表作全集」刊行、装丁は雪岱

装丁の仕事

雪岱の意匠として、絵画的なものは、函や表紙の表から背、裏にかけて一枚の絵のように一体化した構図が目を引く、図案的なものでは、野の花や小動物をぽつんぽつんとあしらったり、繰り返したりした意匠に心惹かれる、「若様侍捕物手帖」、「段七しぐれ」竹河岸の俯瞰を繊細に計算した直線の構成だけで見せる、「両国の秋」両国の俯瞰を雨のように覆いつくす柳枝は絶品、「駒形より」駒形の夜景が濃紺一色の深い闇の中浮かび上がるが輪郭おぼろ、「麻の葉集」水面と河岸のバランス、

「鼠小僧治郎吉」、「多情仏心」は新聞連載の挿絵担当、最初の挿絵作品、「白絃集」、「東京大観」表見返しはうららかな墨田川の向こうに浅草寺、「突っかけ侍」男と女の後ろ姿対比、「祇園夜話」函は雪に包まれた祇園の茶屋、表紙は暖色を用いて座敷の舞妓、「柳暗花明」、「未練」、「川柳風俗史上巻」、「大衆文芸評判記」、「下町情話」、「洒落本集成第二巻」琴の名手である琴仙人を遊女に見立て、「洒落本集成第三巻」、「彩房奇言」、「龍夜叉姫」、「高野長英」、「怪談その他」、「舞台の合間に」、「盲魚」、「島の娘・月夜鳥」、「墨水十二夜」、「女人神聖」、「亜米利加紀念帖」、「月光集」、「暗闇の丑松」、「荒木又右衛門」、「銀砂子」、「近代国文学素描」「死」、「水中亭雑記」、

図案家、小村雪岱、兎に小鳥に蟋蟀、梅に桔梗。雪岱好みの小さい動物の絵も、繰り返したり、繋いだりすると、新しいリズムを持つ文様に生まれ変わる、「銀扇集」銀色のの扇が散る、「薄雪双紙」夜雪を芳香漂う梅花に見立て、「夜の鳥」、「山手暮色」、「寂しければ」、「守田勘弥」、「鼠小僧次郎吉/桃中軒雲右衛門」、「情話新集一」、「情話新集二」、「情話新集三」、

挿絵の仕事

挿絵のデビューは、装丁の仕事が注目された大正11年、里見惇「多情仏心」続く鏡花の「山海評判記」で雪岱調、「おせん」で花開いた、活躍したのは大衆文芸の興隆期、「週刊朝日」「サンデー毎日」「キング」「大衆文芸」「富士」「オール読物」続々発刊

吉川英治「遊戯菩薩」、土師清二「旗本傳法」、邦枝完二「お傳情話」、矢田挿雲「忠臣蔵」、「春の随筆」カット、里見弴「過心」「名作絵巻西遊記」挿絵、「風」カット、

雪岱と富山房、楠山正雄は、雪岱が在籍中に担当した児童書「志那童話集」「弓張月物語」を持っている、児童のための芸術的出版目指して「書とお話の本」6冊を著す、装丁には6人の画家を起用、雪岱が依頼されたのが「源氏と平家」

雪岱のわすれがたみ

東京美術学校で日本画教育を受けた、しかし生計を支えなければならず、装丁、挿絵、舞台美術が本業、だが忘れがたい肉筆がも残している、追い求める時間がないのに気づく、「青柳」、「落葉」、「雪の朝」、「出征兵士を見送る川船」松岡映丘が共同制作絵巻、「劇」、「一本刀土俵入り」、「見立寒山捨得」、「美人立姿」、「星祭」、「赤とんぼ」、「湯島夜景」、「雪兎」、「河岸」、

まとめ

雪岱の装丁の仕事は鏡花本、「日本橋」で一躍世に出る、挿絵は邦枝完二とコンビで新聞連載・おせんとお傳、装丁の仕事は晩年まで続く、「麻の葉集」「両国の秋」、挿絵の仕事は、鏡花の「山海評判記」からぐっと注文増え、活躍の場「週刊朝日」「サンデー毎日」、忘れがたき肉筆画「青柳」「落葉」「雪の朝」