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商業美術家

山下裕二 商業美術家の逆襲を読む

皆さん商業美術家ってどういう人だと思います。本書は明治学院大学山下教授が商業美術家を描いています

花鳥画の名手はなぜ忘れられたか

渡辺省亭は質屋奉公人、菊池容斉に入門・破門「名号」、起立工商会社入社、渡仏、帰国後「龍頭観音」「奴の小万」、春陽堂・和田篤太郎と「美術世界」創刊、若冲の入れ込み「雪中鴛鴦之図」工芸「迎賓館赤坂離宮七宝額」、美人画「七美人之図」、毎朝浅草寺参り、朝湯、妾宅往復の暮らし、鏑木清方は、抱一・是真・省亭を「江戸から東京への都会芸術の生粋」と評す

美人画の巨匠と知られざる名工

鏑木清方は、父の「やまと新聞」に挿絵を描いた水野年方に弟子入り、泉鏡花と「田毎かがみ」、「一葉女史の墓」、宮内庁から依頼「初雁の御歌」、清方は画塾教育を基礎とする叩き上げの「商業美術家」で提唱したのは「会場芸術」ではなく「卓上芸術」、柴田是真は鈴木南嶺に入門、岡本豊彦に学ぶ、漆絵「蜘蛛の巣図」、蒔絵の大作「富士田子浦蒔絵額図」・ウイーン万博事務局の依頼

江戸の美意識はいかに受け継がれたか

小村雪岱は荒木寛畝に入門、東京美術学校に入学、国華社入社、泉鏡花と「日本橋」、日本橋三部作「青柳」「落葉」「雪の朝」、肉筆「こぼれ松葉」、粋な江戸女「おせん」「赤とんぼ」、資生堂意匠部入社、在籍中、300冊近い装飾・装画、舞台装置のデザインや時代考証も手がけました、

浮世絵というターニングポイント

浮世絵版画の母体となったのは「近代初期風俗画」、京の都を描いた岩佐又兵衛「洛中洛外図屏風」、屋内の「風俗図」「婦女遊楽図屏風」、菱川師宣は浮世絵版画の先駆者「見返り美人図」、鈴木春信が錦絵創始、代わって席巻したのが鳥居清長、全身を描く掟破りは喜多川歌麿、役者に応用したのが東洲斎写楽、「初代中山富三郎の宮城野」、爛熟期は歌川派の三人「豊国・国芳・広重」、対する葛飾北斎が浮世絵界を席巻

「芳」の絵師たちから美術史を見る

歌川国芳、出世作「通俗水滸伝豪傑百八人一個」、「鬼若丸の鯉退治」「其之まま地口猫飼好五十三疋」、師風を吸収独自の画境を拓いたのが月岡芳年、「血みどろ絵」「新聞錦絵」「奥州安達がはらひとつ家の図」、水野年方は芳年の内弟子「佐藤忠信参館図」、河鍋暁斎は国芳に弟子入り「風流蛙大合戦之図」、19歳で独立、運筆のデパートだった、「山姥図」「新富座妖怪引幕」

維新後になぜ挿絵文化が花開いたか

挿絵界を席巻したのは、月岡芳年と落合芳幾、新風を吹き込んだのが渡辺省亭や松本楓湖、明治後半に、水野年方、富岡永洗「にごり水」、武内桂舟「谷中の恋塚」の3巨頭、ハイカラ女学生ブームを起こした梶田半古「続々金色夜叉」、人気二分した鮨崎英明「続風流線」「生かさぬ中」、大正ロマンで高畠華宵「移り行く姿」、岩田専太郎、伊藤彦造「角兵衛獅子」「山姥と金時」

大正期の新版画は何をめざしていたのか

多色摺木版画の革新「光線画」は小林清親「浜町より写両国大火」、浮世絵版画の近代版は新版画、伊東深水「近江八景」と川瀬巴水「東京二十景」、吉田博「瀬戸内海集帆船」、橋口五葉「髪梳ける女」

デザイン・イラストの革命児たち

商品や企業のブランドイメージを訴求する広告ポスター登場、橋口五葉「三越呉服店・此美人」と杉浦非水「東洋唯一の地下鉄道・上野浅草間開通」、広告美術を拡大したのは西武、クリエイティブディレクターが20世紀琳派・田中一光、「JAPAN・ポスター」、対する横尾忠則「腰巻お仙・ポスター」「週刊少年マガジンの表紙」、80年代で再評価される、山口はるみ「アンスリューム」、空山基「無題」、田名網敬一「彼岸の空間と此岸の空間」

つげ義春の原画は、将来国宝になる

まんが前史は「北斎漫画」、継承した「暁斎漫画」、小林清親「思想の積荷」(清親ポンチ)、昭和になり、田川水泡「のらくろ」、手塚治虫、白戸三平「カムイ伝」、純粋な芸術を生み出した、つげ義春「ネジ式」、平安絵巻に通じる、谷岡ヤスジ「ヤスジのメッタメタガキ道講座」、小村雪岱の影響を受けた、林静一「夢枕」

自分の眼で見ること

挿絵を守ったのは鏑木清方、福富太郎の蒐集「コレクター福富太郎の眼ー昭和のキャバレー王が愛した絵画」、赤瀬川源平「日本美術応援団」結成、埋もれた作家、玉井力三「小学三年生」、藤戸竹喜「鹿を襲う熊」

まとめ

商業美術の原点は江戸の美意識、権威と距離を置いた花鳥画の名手、江戸と地続きで清方を育み、小村雪岱が継承、浮世絵の登場、師弟関係が基本、維新後は浮世絵の延長で挿絵文化、高度経済成長期は革命児が日本美術をネタにデザイン・イラストを作成、マンガも下地は江戸、つげ義春の作品は国宝になる、自分の眼で見よと訴えています