皆さん岸田劉生の絵を見てどう思います。本書は京都国立美術館梶岡研究員と岸田画家(母は麗子)が劉生について描いています、
銀座時代
劉生は銀座生まれ、13歳で長兄と父、14で母亡くす、心の支えとなった田村牧師、画家になるよう勧められ、白馬会葵橋洋画研究所に通い始める、ここで黒田清輝の外光派の画風を学ぶ、「斜陽」「風景」画風の変化「明治末年築地居留地」、ゴッホの影響「夕陽」「虎ノ門風景」「外套着たる自画像」、ムンク「居留地・築地明石町」、近代「自画像」「窓外風景」
代々木・玉川時代
代々木「土を愛するカイン」、宗教画「天地創造」「人間創造」「エターナル・アイドル」「聖母像」、構想画「水浴童子・習作」素描「リーチ氏像」、最大のパトロン芝川照吉「S氏の肖像」、赤土と草「路傍」「門と草と道」、日本画「水汲み」、素描「手」
鵠沼時代
療養に専念「壺」「壜と林檎と茶碗」、風景画「鵠沼風景」「二階窓外之景」、人物画「永遠之女性」「芝川照吉肖像」、塑像「手」麗子像「童女と菊花」「麗子裸像」「二人麗子」「麗子提灯を喜ぶ之図」「麗子弾弦図」、日本美術「芝川照吉大人肖像」、歌舞伎「芝居絵・大安寺堤」「鎌倉長谷夜景」
京都時代
関東大震災で京都移住、蒐集品は伝辺文進「鳩図」(鵠沼時代)、「慶長遊女遊戯屏風」(京都時代)、宋元花鳥画を写実の欠除により仙と形容すべき一種の深い稚拙感の境地が生じると論じ、初期肉筆浮世絵においても、対象は形から感じられる事であり、神秘性を生じる写実の道があると考えた、佐竹弘行と茶屋遊び「寒山捨得」、日本画「厨房小寒」、京都時代「舞妓図」、
鎌倉時代
遊蕩生活から洋画家やり直し決意、鎌倉移住、春陽会脱退後、武者小路実篤が作品発表の場「大調和美術館」を創立、発表作品「自画像」、南画への関心「静物・果物」と「静物(ギヤマン皿の静物)」、日本画「茄子の図」、俳画風「一見四水」「蔬菜図」「乙女椿」、フランス旅行資金稼ぐ手段として満鉄事業に招聘され満州渡航、結局高官の肖像を描く機会なく、失意の劉生の現地風景「大連星が浦風景」、帰路徳山「冬日小彩」、急逝、享年38歳
麗子づくしー岸田夏子
①REIKO②林檎持てる麗子③麗子肖像(麗子五歳之像)④麗子の像⑤麗子六歳之像⑥麗子座像(絞りの着物)⑦麗子座像(人形を持つ麗子座像)⑧麗子立像⑨麗子肖像⑩麗子裸像⑪童女と菊花⑫武者小路実篤「友情」特装本・表紙・見返し⑬官製ハガキ「劉生から麗子宛」⑭毛布肩掛ける麗子肖像⑮童子図(麗子花持てる)⑯麗子洋装之図⑰麗子微笑図⑱麗子微笑(青果持モテ)⑲麗子座像(紫色毛糸洋服着たる麗子座像⑳麗子住吉詣之立像㉑二人麗子像(童女飾髪図)㉒麗子像㉓麗子微笑(首巻する麗子)㉔野童女㉕麗子之像㉖麗子弾弦図㉗童女図(麗子立像)㉘童女舞姿㉙麗子十六歳之像㉚麗子十六歳之図
ああ、こんな子がいるなあと思わせるリアリティ、麗子に託した劉生の美への結晶、「美しいだろう、この上に絵の具を塗るともっと美しくなるよ」ー母麗子の娘夏子の感想
まとめ
劉生の生涯は、銀座時代に黒田清輝の画風をまなぶ、代々木・玉川時代に宗教画とパトロンであった芝川照吉の肖像画、鵠沼時代は結核療養に専念、静物と「麗子像」、京都時代は蒐集・著述・茶屋通い、鎌倉時代は洋画家としてやり直しと日本画の制作、本書は母麗子の娘夏子さんに麗子像を選んでもらっている。