皆さん水俣病はどんな病気だと思います。本書は原田正純が水俣病に取り組んだ記録です。
水俣病の発生
「原因不明の中枢神経疾患が多発」が初めての患者、患者の症状から一家全員水銀の影響、水俣奇対策委員会発足、公害による人間の発病は環境の変化、新日本窒素肥料が元凶、漁獲高減少、対策委員会は伝染病として隔離、熊大に水俣病医学研究班組織、チッソ付属病院の細川院長が厚生省に報告、保健所、細川院長、熊大の共同研究で中毒の線、漁獲禁止する必要があると結論、原因物質は特定できない、
原因物質を追う
厚生省科学研究班は「水俣病の原因は重金属にあり、新日窒の排水に関係あり」と結論、臨床所見や病理学的所見が整理、特徴が明らかになったが、工場排水を犯人と指摘できない、様々な学説が登場したが、チッソ側は学説の報告にとどまる
水銀をつきとめる
水俣病研究班報告会で、水俣病の病理所見はハンター=ラッセルにより報告された有機水銀中毒とのみ完全一致と報告、厚生省水俣病食中毒部会は湾内の水銀調査、多量の水銀検出、公式確認されたが厚生大臣が解散を命じた、レオナード・T・カーランド博士水俣を訪れ患者診察、魚介類持ち帰り分析、有機水銀結論を支持した、細川院長の排水投与によるネコ実験で、東大で検討依頼した脳標本紛失、チッソは県知事に旧日本軍の爆弾遺棄調査依頼、研究班は現地調査遺棄の事実はない、漁獲激減の漁民は工場に漁業補償金要求、工場は排水浄化装置設置したが、有機水銀に役に立たないもの、患者たちは県知事を中心とする水俣病紛争調停委員会の斡旋案を飲まされる、熊大内田教授、瀬辺教授は有機水銀を証明、徳臣・武内両教授はネコとマウスに発症させた、東工大清浦教授のアミン説、引き継いだ東邦大の戸木田教授の反論、残る問題は、無機水銀がメチル化、入鹿山教授は工場の反応管から採取したスラッジに有機水銀化合物を証明、
胎児性水俣病
水俣通い、臨床所見整った、水俣の子供たちの臨床症状が同一疾患による同一症候群と確信、熊本医学会で武内教授・松本助教授が子供の解剖所見からメチル水銀が胎盤を経由した中毒と発表、私は臨床症状から同一原因による同一疾患と補足、
一酸化炭素中毒
三池炭塵爆発による一酸化炭素中毒患者100人に対し、9年間追跡調査ができたのは、組合の力であるが、補償の考え方、症度分けは基本的人権の無視である
新潟水俣病の発生
新潟大学医学部付属病院に入院患者から毛髪から水銀検出。厚生省特別研究班は、昭電鹿瀬工場の排口からメチル水銀を検出、新潟水俣病患者は慰謝料請求の訴訟、新潟水俣病患者、弁護団、民水対の代表が水俣を訪れ、連帯の決意
公害病認定から訴訟へ
水俣病について政府に正式見解発表、これを受けて患者の認定申請相次ぐ、救済対象を生きた人間に限定、厚生省は補償処理の仕事に着手、一方患者互助会の自主交渉派は慰謝料請求の訴えを起こす、有志による研究会誕生、注意義務の怠りは過失に対し、チッソは無過失主張、武谷三男「安全性の考え方」を手掛りにチッソの企業分析、新しい視点とは、水俣病は人体の問題にとどまらず、環境汚染の問題としてとらえなければならない、厚生省補償処理員会の斡旋は会社の責任軽減と補償額を低く抑えること、
水俣病の全貌の解明に乗り出す
調査開始のきっかけは、水俣病対策市民会議・患者の家族の集まりで、私と二塚医師はメンバーに調査依頼、認定申請した川本輝夫と出会う、発生時期は終戦前後、発病終了は昭和46年、発生地域は北は田浦から南は米ノ津、更に拡大される見込み、最大の問題が臨床症状、徳臣教授は初期において、視野狭窄、知覚障害、運動失調、言語障害、聴力障害、歩行障害、ふるえ等々発現、新潟ではきめ細かい診察し症状を把握、一人一人の面接でピックアップ検診、健診により追跡
隠れ水俣病
「水俣病訴訟支援、公害をなくす県民会議」の医師団は月2回定期的に水俣に行き水俣に通って診察、医師団の発掘した患者は400人にのぼる、しかし診断は水俣病患者認定審査会が独占、行政不服審査請求、反論書に対し厚生省は調査、環境庁が県に処分取消した、厚生省は不知火海沿岸住民に一斉検査、熊本大学においては、武内教授を班長に第2次水俣病研究班結成、住民検診
水俣病は終わっていない
ストックホルムの国際環境学会に参加、水銀問題で「日本のハラキリ」読まれる、日本の公害の総まとめが行われた、テーニング博士と出会い水銀中毒患者のこと、水俣の診断基準、水銀の許容量について話し合った、私は裁判の席で、水俣病の重篤さは、身体的な障害に加え、精神面での大きな障害にあると強調、医学の中立さはもともと存在するものか、大学は研究テーマの広がりに機構は相変わらず、原爆小頭症に人類の犯罪を見た、国が責任をもって水俣病の研究センターを作るべき、予防に徹し、治療に努力、どす黒い病根は大きく口を開けて待っている
まとめ
最初は奇病、水銀が原因と追究、胎児性水俣病多発、新潟水俣病発生、公害病認定問題でついに訴訟、斡旋を経て全貌解明に乗り出す、隠れ水俣病探し一斉検診実現する記録であり、国・企業の責任姿勢を問うたもの。