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洗う

国立歴史民俗博物館・花王株式会社 洗う文化を読む

皆さん、毎日洗ってますか、本書は国立歴史民俗博物館と花王株式会社が洗う文化史について共同執筆したものです

洗う言葉ー桑原裕子

洗うは汚れを落とすこと、「日本霊異記」写経に見る沐浴・手拭、洗い粉、衣服を布施・先布・浄衣のための洗濯休暇、

江戸勤番武士「清潔と洗浄」-岩淵令治

臼杵藩士国枝外右馬の江戸生活-長屋暮らし、仕事はお供‣使者・来客対応、「手水」は行水、湯屋への入湯、「髪月代」は家来の仕事、

入浴習俗の実態と特徴―関沢まゆみ

江戸の銭湯は蒸し風呂継承、佐渡金泉村は長州風呂や鉄砲風呂で、入浴回数は毎日又は一日おきがほとんど、「奈良県風俗史」では、歯磨きは塩か歯磨粉、入浴は夏月に20回、冬月に10回、湯殿は風呂桶と竹の床、鉄砲風呂普及、「貰い風呂」の習俗、

帝国日本の清潔と清潔感ー桶浦郷子

台湾も朝鮮も体の汚れは拭き取り、植民地朝鮮は共同浴場を組合で設立・警察管理・普通学校が加わって入浴習慣形成、植民地台湾は公共浴場と学校寄宿舎の浴場。日本の断髪令、琉球への不本意な断髪を強いる「断髪騒動」、大韓帝国に「断髪令」併合後強制、台湾は「断髪=文明」と理解、検討事項①清潔と清潔感②理髪・入浴は政策意図③清潔と清潔感は男性と女性で違う、

むし歯予防と歯磨き習慣の掲載と普及ー福田直子

歯科医・直村善五郎「歯牙統計」歯は食物を咀嚼するための重要なものだから適切な治療をして一生保とうという人は稀有・患者の7割は逃れたいために来院・成長期の学生は衛生思想から治療に来る人がいない・残念、1931年学校歯科医令公布・歯科医による検査が広がりを見せる、児童への啓発「子供の友」「むし歯予防デーと歯磨教練体育大会」「児童を中心に歯の衛生展覧会」教科の歯磨き教育と戦後の「学童のむし歯半減運動」、テレビ「8時だよ全員集合」、「8020運動」80歳で20本、「フッ素でむし歯予防」

インドネシアにおいて「洗う」ということー金子正徳

蘭領インドではユニリーバ社がジャカルタに石けん工場建設、上流階級が消費者、インドネシアは独立後現代にいたるまで、上下水道の牌発は進んでない、生活用水は自宅に井戸を設置、地下水利用へ変化、1948年ウイングス社がスラバヤで石鹸の製造・販売、「みずまわり」は人々の生活の中であたりまえのものとなってきている、日常関わる宗教・文化面では、イスラームでは洗い場設置、ミナンカバウ人のバリマウ祭りでは柑橘系の果汁を入れた水を用いる、キリスト教の洗礼、バドゥイ人の身の回りの植物で髪を洗う、

砂を盛ること・砂を蒔くこと―久留島浩

京都では、古代以来儀式が行われる場所や道筋に、盛砂.敷砂が行われた。11世紀以降、検非違使置かれ、天皇の行幸や賀茂神社への参拝などの往来の道筋の掃除監督、次第に河原者等が作業するようになり、彼らは「キヨメ」と呼ばれた、盛砂は、病気平癒の祈祷、「立砂」は貴人を迎える際のひとつの象徴だった、この砂を採集して運ぶのは「車稼方」の役目「京都名所図屏風」、馳走の事例①将軍綱吉の母桂昌院従一位に任ぜられ、お礼の為参内する本庄安芸守に対し馳走②江戸に戻る途中に「お昼休」のため矢掛宿に立ち寄った長崎奉行新見加賀守に対する馳走、現在残っている砂の儀礼は、寺社の行事や作庭、大名行列、祭りや行事にともなう掃除や砂

歴史と民俗に見る「禊・祓・清め」-新谷尚紀

折口の見解、祓は穢れ又は慎むべきことを犯した時、それを贖うために自分の持っているものを提供して穢れを祓うこと、神は贖い物を受け、穢れを清める、禊とは、神事に與るための用意としてあらかじめ心身を清めておくこと、「浄め」と「清き」は同じ意味、「清き」と「穢れ」は「続日本紀」では反対の意味、「清ら」と「清げ」は「清ら」が上位使用、「触穢」と「忌避」の徹底、事例として美保神社、「青柴垣神事」奉仕から数年後に「諸手船神事」奉仕、毎日の潮垢離と美保神社日参は欠かせない、現代は忌み穢れの感覚希薄化、快適な生活となりましたが、もともとは畏怖・畏敬に由来、年末大掃除、断捨離も伝統を受け継ぐものと言えます、

まとめ

洗うとは何か、江戸勤番武士、入浴習俗、大日本帝国の清潔感、歯磨き習慣、馳走、「禊、祓、清め」の各項目に言及、物と心から「洗う」根源に迫ります