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政治

物語 東ドイツの歴史 河合信晴 書評

本書は統一まで40年間、ナチスと分断の現実を背負い、外交政策の樹立と生活の豊かさをアピールし続けなければならなかった東ドイツの物語、著者は成蹊大学卒業・ドイツ連邦ロストック大学博士課程修了、広島大学大学院准教授、

新しいドイツの模索ー胎動1945ー1949

①ソ連占領と戦後体制の基礎、ソ連占領のはじまり、ポツダム会談でのソ連の思惑、政党や社会団体の結成、ドイツ社会主義統一党の結成、自由選挙の実施、②非ナチ化と社会の再建、崩壊社会、アンチ・ファシズム委員会、非ナチ化の進展、社会構造の変革、土地改革、企業接収と経営評議会、③賠償問題と冷戦の激化、賠償金の負担額、デモンタージュ・ソ連に生産設備持ち出しからソ連株式会社へ、冷戦激化、ミュンヘン州首相会談の失敗、西側通貨改革とベルリン封鎖、④「ソ連化」する政治・社会体制、新しい型の党ー社会統一党の共産党化、第1回全党協議会と人民会議運動、社会組織の大衆団体化、計画経済のはじまり、へンネッケ運動、経営評議会の解体、

冷戦と過去の重荷を背負ってー建国1949-1961

①東ドイツの誕生、分断国家、統治構造、民主集中制とエリート選抜の仕組み、国家機構の中央集権化、各行政階層が持つ裁量、党内粛清の嵐、冷戦と戦後賠償への認識、対ユダヤ人補償、②スターリン・ノートと6月17日事件、ソ連のドイツ統一の姿勢、ドイツ統一への働きかけ、スターリン・ノートと東ドイツ世論、急速な社会主義化への焦り、ソ連からの「新コース」の指示、1953年6月17日事件・中立の統一ドイツ、③社会主義の建設ー経済と社会の変動、6月17日事件の教訓と締め付け、ウルブリヒトに対する責任追及の失敗、消費財供給の実態、作業班の導入、若者の流失と女性の活用、スターリン批判の余波、重工業重視の経済戦略への回帰、西ドイツに追いつく間もなく・追い越す、社会主義意識の養成を目指して、市民社会の払拭、④冷戦の中の東ドイツー緊張緩和とベルリン問題、東側諸国との外交関係、フルシチョフの二国家論の実態、フルシチョフの外交攻勢、ベルリンの壁建設前夜、オリンピックと東ドイツ、シュタージ・国民の監視

ウルブリヒトと「奇跡の経済」・各企業の資源自己調達と利益処分の自由化ー安定1961-1972

①ベルリンの壁の建設、アンチ・ファシズムの防護壁、情報遮断試み、生産動員運動の失敗、東西世界のはざまで、壁構築後のウルブリヒトのドイツ政策、②計画と指導の新経済システム、経済自由化、経済改革の現実の姿、経済政策をめぐる党内の対立、楽観的ないしは無謀な目標、農業の機械化と専門化、東ドイツ社会主義の独自性、③東ドイツ社会の豊かさ、耐久消費財普及、特権商店、余暇時間増加、女性の家事労働、青年と文化政策の自由化、第11回中央委員会総会、④ウルブリヒト時代の終わりー権力交代と両独基本条約、1960年代の東ドイツ外交、ウルブリヒトとブレジネフ、プラハの春への対応、ブラント外交への対応、ソ連の思惑と社会主義統一党内での対立激化、両独交渉の進展とウルブリヒトの解任、両独基本条約の調印、映画の中の東ドイツ、東ドイツ時代のメルケル

ホーネッカーの「後見社会国家」・生活水準の向上ー繁栄から危機へ1971-1980

①経済・社会政策の統合ー社会保障の充実と経済、ホーネッカーの統治スタイル・若手官僚、公平性と西ドイツ水準を求める経済政策、経済・社会政策統合、私営企業の国営化、東ドイツネイション?②東ドイツの黄金時代?社会福祉の強調、消費行動における格差の拡大、永遠のあこがれ・西ドイツ、住宅政策の問題、二兎を追う女性政策、世帯間対立を描く芸術作品、若者文化③二つのドイツの現実ー西側との国交樹立とヘルシンキ宣言、西側への接近と国家承認、対ユダヤ人補償問題、世論の西ドイツ感情、両独関係の強化、ソ連との関係のさらなる冷却化、④体制のほころびー1976年以降の東ドイツ、危機への入り口、資源節約、西側債務の急増、不公平の拡大、情報の隠蔽が及ぼす不満の拡大、知識人への締め付け、ビーアマン事件、教会の役割の変化、トラバントと「オスト・プロダクト」・東ドイツの製品の今、請願と日常生活の政治

労働者と農民の国終焉ー崩壊1981ー1990

①新冷戦と東ドイツ、指導部と政策の硬直化、東ドイツ・アイデンティティーの模索、ブレジネフの協力拒否とシュトラウス借款、遮断から理性の連合へ、②経済・社会保障体制のいきづまり、イノベーションの遅れ、深刻さを増す経済状態、補助金漬けの経済、消費財不足の深刻化、ゲルハルト・シューラ―の提案、③対ソ連の変化と反対派の活発化、ゴルバチョフとホーネッカー、ホーネッカーのボン訪問、青年層の不満、反対派の誕生、平和運動、兵役拒否運動、環境運動、教会の保護、取り締まりの変化、パンクとスキンヘッド、環境文庫への手入れ、ルクセンブルク=リープクネヒト記念デモ、④1989年そして統一へ、危機意識の欠如、地方選挙結果の改ざん、パン・ヨーロッパ・ピクニック、反対派グループの組織化、出国希望者の西ドイツへの移送、ライプチィヒ月曜デモ、アレキサンダー広場の集会、シャボウスキー発言とベルリンの壁崩壊、民主化の波、シュタージの解体、円卓会議の活動コールの思惑、最後の人民議会選挙、経済ナショナリズムの勝利、東ドイツの売却価格交渉、消費欲求の代償、

統一後の矛盾との対峙

6月17日事件とベルリンの壁建設は暴力により乗り越えた、その後の利害関心を届けられる仕組みと補助金を用いた消費財救急政策で体制の安定化、統一後は自由を手に入れたが公平さを失った、

まとめ

①新しいドイツの模索②冷戦と過去の重荷を背負って③ウルブルヒトと「奇跡の経済」④ホーネッカーの「後見社会主義国家」⑤労働者と農民の国の終焉、⑥統一後の矛盾との対峙、東ドイツ独裁国家論を排し、ナチスと分断を背負いながらも国民の利害を調整する仕組みを作り、補助金を用いた社会保障政策で体制の安定化を図ってきた国家として描写、