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地図

鳴海邦匡 地図を読む

皆さん地図に親しんでますか。本書は甲南大学鳴海教授が近代以前の地図の生涯について描いたものです

開発や工事と地図

①耕地の開発と地図ー奈良時代に開田図(荘園に於ける耕地の開墾状況を示すための地図)、中世は開発領主が国司の圧迫から逃れるため寄進・荘園開発をめぐり作成、近世は、新田開発のため事前に作成された

②河川の普請や管理と地図ー中世は限られた用水確保を巡って作成、近世は大坂・淀川の河川管理と水路の普請や管理のため作成

③建設や開発と地図ー中世の建物は平面図や配置図を用いて作成、城下町では町割り・屋敷割を描写、徳川期の天下普請では、丁場割図作成

土地の管理や把握と地図

①耕地の管理と地図ー奈良時代は「田図」「田籍」作成、近世は「検地帳」がある、明治期は土地の私的所有が認められ、地籍図作成。漁村においては魚場図が作成された

②領域の把握と地図ー自らの管理が及ぶ領域把握のため、奈良時代では「四至図」、中世では、官吏・国司とともに実検したうえで立券する荘園が増え、荘園絵図が作成され、近世では、領主や僞政者の要請により村の全域の「村絵図」が作成された。そのほか、論争を巡っての立会図も作成

③都市空間の管理と地図ー中世における小規模な土地区画の指図は、売買・課税目的。都市空間の管理の地図は、天竜寺の領域を描く地図がある。近世の都市の中心は城下町、諸藩で様々な地図を作成、幕府によるものは「正保城絵図」、直轄都市・江戸・京・大坂は空間把握と屋敷割管理から作成

領域の把握と地図

奈良時代の行基図は最も流布した図、国絵図は豊臣秀吉の御前帳と郡図、徳川期は、「寛永、政保、元禄」の国絵図をベースに日本図作成、伊能忠敬は、天文方の高橋至時に入門、改暦事業に参加・完成後、地球の弧長測量に関心を持ち、担当者として実測、西日本測量途中で死去

地図を作るための測量

中世の都市的な場や建築技術は、地図作成に影響、規矩術は鎌倉期成立、道具を用いて測る。建築の図に続いて新田開発・検地の測量太閤検地による基準統一あり、オランダから盤針術伝わり北条氏長門下により「分度口訣」に記されている。盤針術の展開で、伊能一行の測量と日本図の作成は画期となりました。

まとめ

地図は、開発や工事、土地の管理や把握、領域の把握に用いられ、測量技術の進化で、より一層、人々の暮らしに欠かせない道具の一つとなった。残された地図からその生涯を訪ねます