本書は琉球切手が発行されていた米軍統治下27年の旅である、敗戦による米軍統治は人々に何をもたらしたか、著者は、沖縄出身の父母が楽しみにしていた手紙の美しい琉球切手に目を引き、琉球への旅を重ね米軍統治下の物語を紡ぎたい想いが出発点、東京生まれで雑誌ジャーナリズム賞を受賞、「首里城への坂道」他著作
米軍は沖縄本島に上陸、住民を収容、島内の通信開始、郵便局設置で琉球切手図柄は比嘉秀太郎、米軍は離日政策を進め芸能を活用、アートコロニー「ニシムイ」建設、米軍政府は切手の図案募集、
古波蔵保好は沖縄日日入社、毎日に転社、進行する基地建設、密航で現地の状況を執筆、大嶺政寛は沖縄の風景を描いた画家、琉球大学開学で記念切手、朝鮮戦争勃発、沖縄タイムス連日報道、「鉄の暴風 現地人による沖縄戦記」朝日新聞刊行、琉球放送は朗読で放送、
講和条約締結後「琉球政府」発足、記念切手発行、文化財復興「中城公園」整備、文化財シリーズ切手発行、琉米文化会館建設、米国留学制度・国民指導員計画実施、ぺりー来琉記念切手発行、米国民政府は「土地収用令」公布、
過剰人口対策としてボリビア移住、コロニアルオキナワが活路を見出したのが大豆生産、沖縄を舞台にしたアメリカ映画「8月15夜の茶屋」公開、カラーフィルムに残る沖縄、「沖縄芸能使節団」東京公演、文部省芸術祭に「琉球の舞踊」参加、「民族舞踊」切手三種発行、
島ぐるみ闘争は軍用地使用料の大幅引き上げと、使用料を毎年支払うことで決着、琉球切手初の紅型紋様年賀切手発行、ドル切り替え、守礼門復元工事竣工・記念切手発行・通信販売、
沖縄全域の収容所に学校設置、教科書は米軍指示、「初等学校令」公布、633制、本土並みの教育実現を目指すが米側は復帰運動を牽制、本土教員との交流、日本生物教育界沖縄大会開催、記念切手、動植物シリーズ発行、沖縄県祖国復帰協議会結成、米側の沖縄旗に対し日の丸掲揚、琉球政府は2・1決議、復帰男・仲吉良光の存在、ケネディは沖縄の完全復帰を待望、沖縄全逓による琉球政府10年記念切手発売阻止、発行されなかった記念切手「東恩納文庫」と「文化功労者顕彰・伊波普猷」、
沖縄体育協会は日本体育協会に加盟、大相撲沖縄巡業、九州各県対抗陸上競技大会開催、記念切手発行、東京オリンピック沖縄聖火リレー、米兵による日の丸損壊、マイクロ回線開通記念切手発行、沖縄放送協会設立放送開始、ボーイスカウト記念切手図柄変更で発行、日米琉合同記念植樹祭は発行中止、佐藤首相はジョンソンとの会談で「日米協議委員会」「日米琉技術委員会」の機能拡大合意、沖縄の自治権拡大推進、ベトナム戦争の不安、現役首相として訪沖、デモ隊に阻まれゲストハウスに避難、教公二法阻止、荒れる米兵
佐藤首相はジョンソンと協議・共同声明は①沖縄返還は継続検討②小笠原返還③ベトナム戦争支持、B52常駐、主席公選で屋良が当選、ランバートが高等弁務官に着任、屋良はゼネスト回避、佐藤首相はニクソンと会談、核抜き本土並みに合意、日米琉諮問委員会で日本が郵政の移管を提案、金城と新垣は琉球切手最後の職員となる、ハワイ移住70年記念切手発行、本土復帰が現実味を帯びだし琉球切手は、琉球・沖縄の独自性を打ち出す、民俗行事シリーズ、米軍当局は基地従業員の整理を公表、国会が「沖縄住民の国政参加特別措置法」成立、選挙戦で革新4、保守3、記念切手発行、MPと群衆が衝突「コザ騒動」
沖縄返還協定調印、屋良は「県民無視の返還協定調印に抗議する」声明発表、海洋博開催・伊差川は海洋シリーズ切手を依頼される、本土復帰の日、記念切手発行、
まとめ
父母の手紙から琉球切手の旅が始まる、通信開始で琉球切手誕生、文化財復興で中城公園整備とペリー来琉記念切手、人口過剰からボリビアに「コロニアオキナワ」、琉球芸能の復活島ぐるみ闘争で軍用地使用料アップ、ドル切り替え、収容所に学校設置、本土教員との交流から沖縄復帰運動、大相撲巡業、九州陸上競技大会、東京オリンピック、ベトナム戦争、佐藤首相沖縄の自治権拡大を進める、返還合意、郵政移管提案、返還協定調印、屋良知事は県民無視と抗議声明、米軍統治下琉球切手の旅修了