本書は日本美術に大きな転機をもたらした、運慶と快慶の挑戦を明らかにしたものです、
動乱の時代を生き抜いた運慶と快慶
仏師とはどのような存在だったかー止利仏師が始まり、国の官営工房に所属、康尚が私工房を持ち定朝が受け継ぐ、仏像制作は分業制、棟梁の力と技術が必要、僧侶の仏師が増え高僧の位を与えられた、仏像のスタイルを変えた、慶派という存在ー定朝没後、院派・円派・奈良仏師に分かれる、奈良仏師に属する康慶は蓮華王院五重塔8軀の仏像制作で法橋を授かる、東国武士との人脈築き、興福寺南円堂諸像の復興担当、大仏殿両脇侍像、四天王寺像を造立、「慶派」が奈良仏師の代表へ、仏師三世比較から見える、表現志向の違いー甲冑の文様や柄に個性が出る神将像、康慶の大ぶり・運慶は小さくまとめ・湛慶も簡素、僧形像の眉や皴における伝統的表現と写実性の追求、康慶は皴、運慶は控えめ・康勝も現実的、動乱の世・平安末期から鎌倉時代と、康慶の息子・運慶と康慶の弟子快慶の生涯をたどる年表、
永遠に色褪せない傑作、金剛力士像を大解剖
運慶と快慶が競演、東大寺の復興プロジェクトー責任者は重源、諸堂内の仏像修復に慶派一門・クライマックスが金剛力士像で運慶総指揮、東大寺南大門の金剛力士像は、日本彫刻の金字塔だー運慶・快慶・定覚・湛慶、解体修理で判明、金剛力士像はここがすごいー両像は「寄木造り」技法をさらに発展、模型を作り彫り出す、多層構造、現場での修正があり、美しい彩色が施された、銘文と納入品を確認、
運慶篇
デビューから最晩年まで、無二の天才ー康慶の嫡男、円成寺の大日如来座像がデビュー作、棟梁を引き継ぎ東寺講堂の諸像修復、東大寺南大門の金剛力士像の総指揮、功績により法印位与えられる、幕府要人のための造営に徹する、息子の湛慶には京都の造営を担わす、晩年の作は称名寺の大威徳明王坐像、
興福寺ー大仏師がたどり着いた、仏像表現の仏像表現の新境地ー弥勒如来坐像・無著菩薩立像・世親菩薩立像、天平の名刹で、運慶が指揮した最高峰の像ー興福寺復興計画で康慶は南円堂・定慶が東金堂・運慶が北円堂担当、仏頭は運慶作、願成就院ー東国武士と出会い、ダイナミックな作風に、毘沙門天立像・阿弥陀如来坐像・不動明王立像‣矜羯童子立像‣制仛迦童子立像、浄楽寺ーさらなる飛躍へとつながった、静と動の諸像ー不動明王立像・毘沙門天立像・阿弥陀如来および両脇侍像、瀧山寺ー頼朝追善の三尊に見る、流麗なリアリティー聖観音菩薩立像・脇侍の梵天・帝釈天立像、運慶は仏の魂をデザインし、像内に秘したー大日如来坐像の五輪の塔の木札・心月輪・五輪の塔の舎利容器、
快慶篇、
仏に人生を捧げ、一弟子から慶派のスターへ、初期の作品は弥勒菩薩立像、3年後に醍醐寺の弥勒菩薩坐像、重源に共鳴・阿弥陀像を数多く手掛ける、信仰活動に生涯を捧げ「法橋」「法眼」の僧位を得る、阿弥陀如来立像、
浄土寺ー極楽から雲に乗って現れる仏を光で演出ー重源と快慶の結びつき、阿弥陀如来および両脇侍像、大仏様の建築構造で化粧屋根裏に巨像が映える、安倍文殊院ー颯爽と大海原を渡る文殊菩薩に、圧倒されるー重源の文殊菩薩の信仰心からうまれた、文殊菩薩騎獅像と善財童子立像、端正で優美な、阿弥陀仏の像を求めてー晩年の地蔵菩薩立像と集大成の光臺院の阿弥陀三尊立像、精緻な美しさを放つ、快慶仏の特別な技法とはー「金泥塗り」と「戴金」、阿弥陀如来および両脇侍像と釈迦如来立像、
もっと知りたい、仏像の魅力
飛鳥~鎌倉時代の名作で知る、日本の仏像史ー飛鳥時代、釈迦如来および両脇侍像・釈迦如来坐像・観音菩薩立像、奈良時代、薬師如来および両脇侍像・八部衆阿修羅立像・四国天立像持国天・伝薬師如来立像、平安前期、十一面観音菩薩立像、五大明王像・如意輪観音菩薩坐像、平安時代後期、不動明王坐像・阿弥陀如来坐像、鎌倉時代、阿弥陀如来および両脇侍像、基本的な仏像の種類とつくりかたを学ぼうー印相(手で示す象徴的なポーズ)説法印・智拳印・来迎印・施無畏印・定印、仏像の種類ー如来・菩薩・明王・天、木の仏像は、山林に恵まれた日本で技法が進化したー一本造り・割矧ぎ造り・玉眼・寄木造りは①準備②彫る③漆塗り④表面仕上げ、仏像を深く味わうなら、ディテールに注目、髪と目と手
まとめ
奈良仏師の慶派に属し、運慶は康慶の嫡男、快慶は弟子、運慶は棟梁で幕府用心に造営、快慶は重源に共鳴、仏に人生を捧げた、平安末期から鎌倉期と激動時代を生きた二人の仏師の物語である、