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縄文農耕

設楽博己 縄文VS.弥生を読む

皆さんは縄文と弥生ってどんな時代だと思います。本書は東京大学設楽名誉教授が、縄文と弥生について9の視点から描いています

縄文農耕と弥生農耕

縄文農耕の議論は、藤森栄一の植物道具の多さと泉靖一北九州説から中尾佐助・佐々木高明の野生栽培→クリ→雑穀→水稲説があり、植物学からプラントオパール検出が報告され、レプリカ調査の結果、アワ・イネ同時出現がわかる。縄文農耕の実態は、台地で水田耕作、ドングリのあく抜きから灌漑システムを応用、弥生農耕は、道具の特化と網羅型・選別型生業であります。

二つの漁労と海人集団役割

縄文期は、燕形銛頭が大型化し、攻めの漁猟、弥生期は待つ漁労と玄界灘の海人集団に分かれます

山と里の狩猟民

群馬の中野原遺跡では、打製土堀具・石鍬が大型化し、石鏃が小型化、道具を改変、組み替えています。弥生期は、洞窟を基地とした狩猟活動がおこなわれた

通過儀礼の変容

縄文期、耳たぶに穴をあけ焼き物の耳飾りをつける風習、弥生期は管玉に、抜歯も縄文期の風習、通過儀礼であるが、半族表示。イレズミは「鯨面埴輪」に見られるが通過儀礼であり、敵を倒す威嚇機能は弥生期に入ってから

祖先祭祀の三つの形

①縄文期に定住生活が始まると、様々な目的で祖先祭祀ができ、東日本では弥生再葬墓が営まれた

②大陸の由来の祖先祭祀導入、大型建物施設群による祖先祭祀

③近畿地方で、居住性の独立棟持建物で祖先祭祀

不平等と政治の起源

縄文期は複雑採集狩猟民、階層化過程にある移行社会、弥生期は、前方後円墳に見られる格差社会、武器、副葬品、青銅器3点、鏡、玉があること

土偶が映す先史のジェンダー

縄文期は、土偶と石棒、藤森栄一は、屈折像土偶を座産と見た、石棒は、よりしろ・祖先祭祀、土偶は女性、石棒は死を意味します

弥生期は、木偶、石偶、土偶そして銅鐸の絵画。木偶は西日本、男女像(大陸の影響)が見つかっている。東日本は土偶形容器、女性像から男性像も作られた。銅鐸絵画は男性優位に描かれる

立体と平面

縄文期は粘土で偶像作ることから立体的、弥生期は土器や銅鐸の表面に線で描かれることから平面的。動物表現は狩猟儀礼として役割がありました。

縄文土器と弥生土器

縄文は、縄でつけた文様、後期に磨消縄文発達、様々な器種のバリエーションがあります

弥生期は、回転台の上で回転させながら成型し文様を付けましたが、文化を象徴する土器の新機種は、大陸や東北の土器の文様を取り入れています。

まとめ

本書は東日本視点の縄文文化と弥生文化の比較論であり、複雑採集狩猟民族と農耕文化複合という概念を使って、主に関東をフィールドに先史文化の成り立ちに迫ったものです