皆さんは文化大革命で「知識青年」てどんな青年たちだと思います。本書は静岡大学楊教授・モンゴル出身が「知識青年」がどんな青春を送ったのかについて描いています
知識青年の創出した意識変革
1968年から1700万の青年たちが都市から農村へ移住、意識変革を創出した。下放され、習近平のような共産党員になったか、否
北京からモンゴル草原へ飛んだ赤い鷹
文革期に下放された青年、曲折、彼は老紅衛兵下であったが、共産党の謀略に巻き込まれ、ついて行けず「紅衛兵大学」を構想、内モンゴルへ、粛清があったが、順調に出世、このことが文革の加害者として追放されました。
南京を旅立った革命的荒武者
南京からの下放青年、丁明、老紅衛兵から犬っこ扱いされ、失意の中、オルドス高原へ移住、歓迎された。王清民とその仲間も内モンゴル行を決意、オルドス下放。「忘れ難きオルドス」は、南京下放青年のモンゴル生活を描いています。進学も就職もできない青年たちを内モンゴルは受け入れ、牧畜民と結合、結婚もしています
中国内地の天国と地獄
青年は、任毅、下放先で失望感溢れた歌「知識青年の歌」を創作、全国で流布された。習近平は、黄土高原に追放されたが、地元農民に暖かく迎い入れら、最高指導者となりました。しかし、ほとんどの下放青年は、逆の運命を辿った、「過ぎ去った青春ー100人の下放青年」は過酷な一生を記録しています。彼らの見たのは、農村の貧困と抑圧の性・恋愛小説禁止でした
雲南のフロンティアとビルマ共産党ゲリラ
裸足の医者として下放されたウコウガ、彼はビルマ共産党ゲリラに加わった最初の人物、ここから下放青年が続々参入してくるが、世界革命を実現し、抑圧された人民を解放、同時に、自分たちも下層民から自由になりたかったのです。しかし、下放先の過酷な生活と共産党の非道な扱いに青年たちは陳情、国家指導者は帰還を黙認しました
新疆西部辺境の屯田兵
中国の屯田兵は、国境防衛と、前政権から受け継いだ軍隊と家族からの脅威を解消するため。共産党は「生産建設兵団」と呼ぶ
①新疆生産建設兵団
新疆に駐屯していた国民党や難民が加わり総員28万でスタート
②黒竜江生産建設兵団
退役の共産党鉄道兵と国民党からなり1万人でスタート
③内モンゴル生産建設兵団
内モンゴル指導者を粛清中に成立、1万人でスタート
④蘭州軍区生産建設兵団
甘粛省・青海省・寧夏回族自治区に分散、4万人でスタート
⑤雲南生産建設兵団
国民政府軍の反撃を防ぐのが目的、8万人でスタート
中国は、下放青年を棄民として扱うが、帰ろうとする青年たちを阻止した。「アクスー暴動」はウイグル領土で繰り広げられた暴動です
1968年、青年たちの世界周
ワンチンドルジ、南京下放青年、もう二度と帰れない、ここからモンゴルの価値観に感銘を受け、モンゴル人になりました
モンゴル人と結婚した下放青年で有名なのが周恩来の姪、周ヘイケン、現代の王昭君と称賛された
まとめ
1968年中国の青年は何を求めて行動し、世界を理解し、国際社会とつながったかを知ることは、今日直面する民族問題の糸口となります