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池谷和信編 アイヌのビーズを読む

皆さんアイヌの首飾りを見たことありますか、本書は国立民族学博物館池谷教授ほかの共同執筆により2万年の新たな知を探ります

北海道及びその隣接地域におけるビーズの歩みー高倉純

ホモサピエンスの最古のビーズはモロッコ、ビズモウネ洞窟。西アジアからアフリカ、6万年前から4万年前に多様な素材・技術により数百点のビーズ出土、ユーラシア東部のデニソワ洞窟東支洞で骨片とビーズ出土。人類は、ヒマラヤ山脈の北回りと南回りを辿ってユーラシア東部に広がる。上部旧石器時代初期は、高い共通性を示す石器群の分布、上部旧石器時代前期や上部旧石器時代中期は多様な素材でビーズ制作、マリタ遺跡はビーズを組み合わせたネックレス出土、中国周口店山頂洞で多彩な素材のビーズが出土、北海道の旧石器時代におけるビーズは、細石刃石器群に伴って確認、

多様な素材と縄文、続縄文ー鈴木健治

地球温暖化、多彩な素材がビーズに使用、3・4世紀ガラスビーンズ北海道席巻、ガラスと金属でタマサイ誕生、①スタンダードな貝製ビーズ、礼文町の船泊遺跡と伊達市の有珠モシリ遺跡、②貝製ビーズの一大拠点礼文島は平玉の出土群を抜く、平玉は首か手首に装着③貝製ビーズに南海産のビーズある④コハク製ビーズに素材は在地系、⑤碧玉製管玉が北海道に流入、⑥ヒスイは遠隔地系の素材で全道に広まる、⑦在地の岩石でビーズ制作、

ガラス玉の導入と流通‐高橋美鈴

北海道では交易品、アイヌ文化期にガラス玉増加、北海道におけるガラス文化の始まりは①ガラス玉は続縄文文化後期出現、コバルトで着色されたカリグラス②カリガラス、高アルミナソーダ―石灰ガラス、低アルミナソーダ―石灰ガラス③中国からのカリ鉛ガラス出土、

タマサイ文化は①擦文文化期は根室市穂香竪穴群から57点出土②中世アイヌ文化期は、厚岸町上幌内2遺跡とオニキシベ2遺跡、有珠オヤコツ追跡でカリ石灰ガラスとカリ鉛ガラス一点、③擦文文化期、中世のガラス、カリ鉛ガラス、カリ石灰ガラスに材質変化、長崎鉛を用いる、④ガラス玉の興隆、タマサイの首飾りとしてガラス玉利用確立、余市町大川遺跡⑤ガラス玉変遷、カリガラスからソーダ―石灰ガラスへ変化、⑥ヒスイ中心の玉文化に対し、ガラス玉は「青」を与え、アイヌ民族を代表す

「タマサイ」と「シトキ」の成立ー越田賢一郎

首飾りをタマサイ、胸飾りをシトキ、①擦文文化期以前は、碧玉製管玉類とコハク玉が首飾り、後半はガラス玉、擦文文化期は装身具は出土しない、②アイヌ文化期前半は、カリ鉛ガラス、カリ石灰ガラスを原料に制作③根室市穂香竪穴群11号住居跡は、ガラス玉と金属製品が同一の連れに組み込まれ、ほとんどがカリ鉛ガラス、アイヌ文化前半出土数増加、④厚岸町上幌内2遺跡ⅢGPO5は、ガラス玉、秋草双鳥文鏡、コイル状鉄製品、銭、筒状銅製品、耳輪出土、⑤厚岸町オニキベシ2遺跡1号土壙墓は、小刀、刀子、Q型耳飾り、鍔状銅製品、白色金属板、玉類と小銭出土、⑥余市町大川遺跡GP004は、ガラス玉出土、⑦伊達市有珠オヤコツ遺跡方形配石墓Ⅱ号は、ガラス玉と水晶玉金が出土、⑧余市町大川遺跡GP608は、ガラス玉、小銭、刀子、サメの歯、刀装具、紐金具、漆器出土、⑨恵庭市カリンバ2遺跡第Ⅵ地点AP5は、白磁小皿,片口鉄鍋、ガラス小丸玉,刀装具、耳飾り、漆器椀、刀子出土、⑩北見市ライトコロ川口遺跡12号竪穴内墳墓は、ガラス玉、コイル状鉄製品、鍔、短刀出土⑪釧路市幣舞遺跡台3号墓は、ガラス玉、古銭、耳輪、竹製管玉、内耳鉄鍋、漆器出土、⑫根室市コタンケシ第Ⅴ地点墓は、ガラス玉、碧玉製筋玉、小銭、漆器、飾り金具出土、ガラス玉主体のタマサイ成立は、形態は丸形でカリ石灰ガラス、アイヌ文化前期にタマサイ成立、有機物質との組み合わせもある、

玉がつなぐアイヌと和人-関根達人

東北地方ではアイヌと和人共棲、時代とともに下北にコタン、ガラス玉は十三港、浪岡城跡、根城跡、聖寿寺館跡、大光寺新城跡、野辺地町向田遺跡から見つかっている、北海道では玉の文化は続き、タマサイの確立は15世紀、青玉は16世紀から、多彩になった18世紀、松前は、ガラス玉生産、和人はこれを珍重、

明治・大正・昭和時代の北海道のタマサイー池谷和信

杉山寿栄男「アイヌのたま」、小林泰一「あいぬ玉」、「タマサイの美ー函館コレクション」から、①タマサイはガラス玉を組み合わせ、シトキは木製で丸く作り文様を入れる、②たまのつなぎ方は多様③玉の名称は、丸玉をシカリタマ・扁平玉をカプケタマ・たてながをピードリー・角ばった物ワッチィレエタマ④アイヌ婦人の身体装飾として玉類は必要不可欠である。物から見たタマサイは、国立民族学博物館では80本の首飾り、苫小牧市美術博物館では141本の首飾り、函館市北方民族資料館では、タマサイ関連500点、「アイヌたま」に三列に玉が並ぶ大きな円形金属板のシトキを身に着けた写真がある、

アイヌのビーズを展示するー池谷和信

ビーズの素材、ビーズの歩みでは道内資料を用いビーズの歴史展望、ビーズを作る道具紹介、ビーズで世界一周は昭和のタマサイやシトキを展示構成。現代社会とビーズ、グローバル時代のビーズは、アイヌ作家の作品群を考えた、展示技法で、歩みは、江戸、明治から昭和の収集品、世界一周では北海道立北方民族博物のものを借用、グローバルビジョンのビーズではチシポの会の活動紹介、博物館でビーズ展示は、アイヌのビーズが来館者と企画者側のつながりを持つことができたこと、

タマサイの現代と未来―斎藤玲子

母から娘へ受け継がれるアイヌのタマサイは、同化政策や葬式の埋葬により、入手が困難、タマサイの興隆期は明治末から大正時代にアイヌ観光の隆盛に伴って衣装が華やかになり、刀や漆塗りと同じ現象で、旭川の戦前写真がある。本格的なタマサイをつくるプロジェクトは寮美千子「タマサイ・プロジェクト」、きっかけは、アイヌの歌と踊りでタマサイがなかった為で、タマサイを完成させ高橋ひとみに寄贈している、

文化圏のの視点で見るアイヌのビーズー池谷和信

ビーズで見た世界の6大文化圏、北海道からサハリンのアイヌのビーズは、ガラス製の玉から構成、南米アマゾンや台湾のタオの人は自然素材を利用したビーズ、東南アジアからオセアニアにかけては貝製ビーズ、東南アジアから南アジアでは、数珠玉、貝類、石類、ガラスのビーズ、西アジアから北アフリカでは、ガラス、銀製、琥珀製、ヨーロッパガラス広まった地域では手袋にビーズを縫い込むビーズ、アイヌのビーズの特徴は、①素材②入手方法③制作技術④社会との関り

動物皮からガラスビーズへー呉人恵

トナカイ牧畜民コリヤークは、屠畜、毛皮を剝がし、加工、衣類にビーズが縫いつけられる、帽子やコートに月を意味するジュイルグンをビーズ刺繡が縫い込む、新生児に名前つける際、占い石がありトナカイの毛皮で包まれ、ビーズの紐が吊るしてある、老婆が先祖の名前を呟き、石が揺れると子供の名前となる、民族学者ヨヘルソンは、葬儀衣類にイヌの喉部分に施した刺繍があると報告

ビーズ素材とその変化‐斎藤玲子

ガラス以前の多様な自然素材、貝製ビーズのなかで、ツノガイビーズとして最適、アラスカから五大湖まで広がる、東部森林地帯ではワムパㇺは紐とベルト、クイル加工はヤマアラシを用いる、最初にガラス製ビーズを交換したヨーロッパ人で、ビーズ加工は華やかなものになった、ビーズ細工に限らず、北アメリカ先住民の文化は復興を果たした

ガラスビーズの伝統と創造‐野林厚志

パイワンは民族集団、貴族層と平民層で構成、巫瑪斯はガラスビーズの多色ガラスビーズの再現に成功、蛸島直はパイワンのガラスビーズについて、交易や贈答,婚資として17世紀から導入と結論、現在パイワンの呂鈞はガラスビーズの伝統を尊重しながら新たなビーズ文化を構築、

ビーズの生産と消費‐遠藤仁

南アジアで最古のビーズはパトネ遺跡出土、インダス文明はビーズの生産拠点、ガラスビーズは、アリカメドウ遺跡で生産、準貴石製ビーズは、インダス文明領域、この工程は完全機械化される。ビーズ技術の加熱処理と腐食加工は、途絶えることなく現代につながる、準貴石に特別な意味を持つ人は宗教家と芸能集団

記憶装置としての首飾りのビーズー中村香子

サンブルの男性はモランになると「年長組」、モランと娘のダンスは恋愛の場、モランは気に入った娘にビーズをプレゼント、母親は貰ったビーズで巨大な首飾りを作る、恋人と別れ花嫁は耳飾りと腕輪をつけ新たなクランに所属、首飾りを皿型の形に作り直す、ビーズは出来事を束ねて記憶する、

まとめ

ビーズは着装することにより社会的コミュニケーションに技術、ビーズは北回りと南回りで東アジアに拡散、上部旧石器初期、前期、中期で多様な素材でビーズ加工、中国では、文化情報をパッケイジとして制作使用、北海道ではしように食器間らりで岩石琥珀の素材出土、素材の多様化からガラスビーズ一極集中、弥生・古墳期は管玉と勾玉にガラス玉、ガラス玉流通、タマサイ文化とシトキの成立、北方と本州から流入、玉はアイヌと和人をつないだ、ほんしゅうから区が玉 明治からは骨董品、信仰、民博・苫小牧・北方民族資料館で見れる、アイヌビーズの展示でアイヌ作家の作品群が重要展示技術は、情報あるものに絞った、タマサイの現在と未来は、譲渡と葬送で文化復興はタマサイのプロジェクトの立ち上げ、文化圏で見たビーズ文化圏は①北海道②南米アマゾンや台湾③東南アジアからオーストラリア④インダス文明⑤西アジアから北アメリカ⑥ヨーロッパ旧植民地、アイヌはビーズと社会に関わり、動物皮からガラスビーズのコリヤーク、ビーズ素材はガラス以前と以後で変化、ガラスビーズの伝統と創造で、台湾のパイアンは社会階層あり、多色ガラスビーズで表す。インダス文明のビーズの生産は準貴石製ビーズを生産する職人集団だが、継承者は減っている、特別な意味を信じる人は宗教家と民間診療士、アフリカの記録装置としての首飾りビーズは、サンブルの男性はモランになると娘と恋愛、ビーズを娘に送る、娘は恋人と別れ結婚、ビーズを皿型に首飾りにし、出来事でビーズを分け与える、ビーズは思い出を作る